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リムジンガン1号~7号

〔シリア難民〕ドイツへの決死の脱出(1)「私はなぜ家族と国境を越えたのか」シリア人記者語る(アーカイブ)写真3枚

内戦の戦火が続くシリア。数百万にもおよぶ人びとが国外へ脱出した。2015年9月、シリア難民のアイランくん(3)の遺体がトルコの海岸に打ち上げられている写真は世界中に衝撃を与えた。彼はシリア北西部のコバニ出身。家族とともにトルコからギリシャへボートで渡ろうとしたが沈没した。たくさんの難民が同じように海で命を落としている。昨年10月、アジアプレスとのインタビューで武装組織イスラム国(IS)台頭の背景について語ってくれたアル・バヤン紙の元特派員フェルハッド・ヘンミ記者(31)も同じ9月、家族3人とともにコバニからドイツへと逃れた。なぜ彼は欧州を目指したのか、どのようにドイツまでたどり着いたのか。電話のインタビュー記事を、今回、アーカイブとして掲載する。【聞き手:玉本英子】
(※2015年初出のアーカイブ記事。情報等は当時のまま)

シリア北部コバニはISに包囲され、一時、町の半分近くまで制圧された。住民のほとんどは隣国トルコへ脱出。町に残ったクルド組織の防衛地区に毎日ISから砲弾が撃ち込まれていた。建物の向こうの丘はすべてIS支配地域だ。(2014年12月撮影・玉本英子)

 

◆避難先トルコからコバニに戻るも、町は破壊されISの包囲は続いていた
私はコバニ出身です。ダマスカス大学を出てから、シリア各地で取材活動をしてきましたが、戦闘激化で、おととしトルコ南部に一時拠点を移しました。コバニは昨年9月、ISと地元クルド組織との間で激しい戦闘が始まりました。しかし今年の1月末にISが市内から一時撤収、戦闘が下火になったことを聞き、私は家族とともに故郷に戻ることにしました。
町に足を踏み入れると、ISが撃ち込んだ砲弾や米軍などの空爆で、なにもかも瓦礫の山になっていました。私の家も一部が損壊、家族が住める状態ではありませんでした。それでも故郷で生活を始めたかったのですが、町の包囲は続いています。またISが戻ってくるかもしれない、という恐怖心に襲われました。私ひとりならともかく、子どもたちをここに住まわせることはできないと判断しました。私は妻と話し合い、今度はトルコへの一時避難ではなく、親戚のいるドイツに渡る覚悟を決めました。5歳と2歳半の幼い娘も一緒です。

ISの砲弾で破壊された住宅。2014年9月末には、町がISにより陥落寸前になったため、地元クルド側は苦渋の決断をし、米軍と有志連合に要請して戦闘機がIS陣地に空爆を開始した。町は砲弾と爆撃で瓦礫と化した。(2014年12月コバニ市内で撮影・玉本英子)

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