リムジンガンのご案内

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」3
いまや大企業なみのジャンマダン
チョン:ジャンマダンでは国家の儲けも多いはずなんだが。例えば、私が市場で靴の商売をやるとすると、幅五〇センチぐらいの売り場を設けてくれる…

ico_new.gif北朝鮮―自転車ばかりを狙う軍人強盗団 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年一一月末、清津(チョンジン)市で自転車ばかりを専門的に強奪する強盗団があちこちで暗躍したため、保安員(警察官)が捜査に入った…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」2
「おばけのやりかた」
シム:市場ぐらいは大目に見て好きに商売させてくれればいいのに。そうすれば人々の苦痛も軽くなるだろうに…

ico_new.gif北朝鮮―女児強姦犯逮捕 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年夏、清津市で二四歳の男による九歳の女の子への強姦事件が発生した。女の子はその日も友達と、近所にある廃屋の周りでかくれんぼをして遊んでいた。 夕方、このあたりでは見かけない男が…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 9
「隊内民」たち
さて、わが家のあの冷凍機はどこに売られたのか? ジャンマダン(市場)は「管理所」の中にはない。店といえば…

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少林寺拳法グループ総裁・宗由貴 自分らしく生きたい 第8回

「開祖と娘〜組織にこだわらず原点を守る」
(少林寺拳法グループ総裁・宗由貴と野中章弘(アジアプレス)との対談です)
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野中
困難にぶつかった時などに、辞めたいと思ったことはありますか?


今までやめたいと思ったのは2回ですね。

野中
2回?


2回です。

野中
やっぱりあるわけね。


悶々とありましたよ。ソマリア(1987年)に行く前に1回。
( ※ソマリア行きについては連載3回目参照)

野中
ああ、ソマリアに行く前ね。


あれは結局、(トップであることを)辞めるのをやめてソマリアへ行ったんですよ。だからどっちかといったら自分に対する賭けでしたね。ソマリアへ行って、私が何も感じられない人間になっていたら、辞任しようと決意して行ったんです。その次に辞めたいと思ったのは、今から5年ぐらい前かな。

野中
結構近いですね。まだ生々しい。


逃げたいと思ったわけじゃないんですよ。

野中
そうでしょうね。


果たして私の存在は組織にとって必要なんだろうか・・・。間違っていたんじゃないか・・・。自分のできること、自分のすべきことというのは一体何だろうかという、ゼロに戻して考えたんです。今のままでは何か違うと。

野中
やっぱりそういう違和感みたいなものがあるわけだよね。


気がついていなかったんです、やっぱりね。10何年たつと、最初にやめたいと思って悩んだときから10数年たっているでしょう。悩みながらも、いつのまにか自分の時代が始まってくると、いろんなことに慣れてきてしまうんです。
そうするとやっぱり感性も鈍くなるし、いろいろなことがあって。こんなことしていていいの?みたいな。

野中
そうすると、2回辞めたいという思いに至ることがあって、そういうのを乗り越えながら、ある意味失うものはないという結論に達してきたということですか?つまり、「組織としてただ形を保っていっているだけでは意味がない」ということを、自分の中に実感していたのでしょうか。


ああ、そうそう。
だから組織を壊したり、変えることを怖れる余り、とりあえず形だけ残しておくことによって、あるいは少林寺拳法だったら会員の数を増やしていけば、何となくそれは発展しているというイメージがあるでしょう。だからそのときには精神の問題とか、一体何のためにこれをやっているのかというようなことは余り問題にされませんでした。当時は、組織の形みたいなものだけが評価の対象になっていましたし…。

ただ、その辺でちゃんと視点を失わないというか、そういう「本質の部分」、つまりは「何が大事なのか」ということをきちんとわかりさえすれば良いと思うのです。そういう考えを持っていると、別に失ってもいいもの、別にどちらでもいいものなど、あまり形にこだわらない自分の気持ちが見えてくるのです。そうすると、割といろいろなことが率直に言えたりとか…。

野中
やっぱり形にこだわったら、みんなが何となくうまくいっていると錯覚してくれるような……。


ここまでやっているんだから、ということがよくあります、周りの人たちの意識の中に・・・。

野中
そうでしょう。


ここまでって、何がどこまでって言うと嫌がられるんですけれどもね。だから無くすことは全然怖くない。これももしかしたら「違う」と言われるかも知れませんが。

野中
そう、違うかもしれない。本当にそれはそうかもしれない。


違うと思ったときには、作ったものをすぐに壊すという、そう思ったときが、チャンスですよね。タイミングを逸すると、プラスがプラスにならない。そういう環境とでも言うのでしょうか…違うのかな、それは父親譲りのDNAだとも最近言われたりもしますが。そうですね、遺伝かもしれない。

野中
結局、何のためにやるのかということを見失ってしまった組織というのは社会にとっては単なる害になってしまいますからね。


そう。

野中
でしょう。


そうなったら、うちの場合特に、少林寺拳法じゃなくなるんですよ。

野中
そうだよね。


技術だけ身につけることを重要視するのであったら、少林寺拳法という名前ではなく、「ほかの名前をつけて」と私は思うんですよ。

最近、結構言っていることになりますが、「教えと技法と教育システム」これがそろっていないと少林寺拳法と名乗ってはいけない、と。

野中
ちゃんとそういうものも維持していくということだよね。


そうなんです。それにこだわりを持たないといけない。だって、今のこの時代というのは、何でもありでしょう。

野中
そうですよね。


非常に危ないですよ。今だって少林寺拳法の技術しか習っていない人が、少林寺拳法と名乗らずに教えている人もいますよ。うちの組織には入らないで。でも、私から言えばその人がやっているのは少林寺拳法ではないんですよ。そんな技を教えてはいけないといくら言っても、そんなものは無理ですよね。出ていくでしょう。でも、そこで彼らが「少林寺拳法」と名乗らなければいいんですけれど。
(次回に続く)


宗由貴(そう・ゆうき)
1957年、香川県生まれ。1980年、少林寺拳法の創始者である、父・宗道臣の後を継ぎ、少林寺師家第2世宗道臣を襲名。2000年、少林寺拳法グループ総裁に就任。