「いちばん有名な桃太郎」

いま台湾でもっとも有名な日本人はおそらく「中村夫婦」であろう。先週から今週にかけて繰りかえし台湾のテレビニュースに登場し、間違いなく「世間を騒がせた」といえる。
中村氏はごく普通の日本の市民である。彼ら夫婦は日本人を対象にした退職者ビザ(いわゆるロングスティ、180日)の支給を受けた第一号として華々しく台湾に現れ、中部山間部の埔里<ほり>という町に落ち着いた。ところが、当地の環境は健康を害するとして、滞在わずか一週間で台湾を離れることにしたのである。
国家をあげてこのプロジェクトに取り組んでいただけに、台湾政府と町は大きなショックを受けたのだが、もとはといえばプライベートな些細な出来事である。しかし中村氏が、埔里を離れる理由をしたためた文書をマスコミ各社に流したことから、事態は「大事件」となった。
台湾の町、特に地方都市は、バイクの洪水である。山紫水明の地を号する埔里も例外ではない。病気もちの老夫婦がのんびり暮らすには、いささか趣が違う。歩道も整備されておらず、歩くのも、道を渡るのも至難の業であったろう。
また中村氏は、「約束が違った」とも言っている。行政が用意しているはずの設備が整っていなかったし、おそらく改善を求めてもすぐに対応しなかったのであろう。それも台湾ではあるていど仕方がないことである。そういう台湾が好きな人が台湾を気に入って住んでいるのであって、中村夫婦はとんでもない勘違いをして台湾に来たことになる。
中村氏が当初、テレビカメラの前でそうした不満をぶつけたことから、にわかに「時の人」となってクルーに追い掛け回されることになった。役所の前では、記者が夫婦を追及し、市民が取り巻いて罵声を浴びせたりしたので、奥さんはとうとう顔を覆って泣き出してしまった。そうした修羅場が毎日のように報道され、我々在台日本人も会う人ごとに「お前はどう思っているのかと」と意見を求められた。
ここでも中村氏は大きな勘違いをしていた。マスコミが弱きの味方になって社会の木鐸<ぼくたく>の役割を果たしていると思い込んでいたようである。「甘い」。海外では、蛇口をひねれば清浄な水が得られるとは限らない。台湾において、テレビカメラの前に人権はない、と思っていたほうがよい。たとえマイクを向けられても(電話でも、目の前にカメラがなくても)、決して話をしないことが鉄則である。
ただ中村氏には気の毒だが、実はこの事件は、とても新鮮な出来事だったともいえる。台湾のテレビが普通の日本人にマイクを突きつけて、台湾についての感想を求める光景を私自身も初めて見たような気がする。台湾のマスコミは、外国人、とりわけて日本人の意見をまともに紹介するということはまずない。双方間で問題になっているような事柄については、とくにそうである。

最近赴任した日本の大使(交流協会所長)は、かつて台湾に留学していたほどの知台派である。言葉もわかる。私は某テレビ局の報道部の人に、いいチャンスだから一度彼にインタビューしてみてはどうかと、話したことがあった。すると相手は、まるでいきなり焼芋を握らされたときのように狼狽した。おそらく局内では、真正面から日本人に向き合うことは、ちょっと想像を絶することなのだろう。だいたい新聞でも、「日本人」と三文字で紹介されることは少ない。「日人」はまだいいほうで、「桃太郎」ですましている例が多い。そこには、民族的なあるいは歴史的な背景があるのだろうが、実に興味深い現象である(一方でドラマ、アニメを始め日本の商品は氾濫している)。
そして中村夫婦の帰国とともに、嘘のように静かになった。きびだんごさえ与えておけばウサギのように大人しいと思っていた桃太郎が、とつぜん言葉を発して、意見を述べ、台湾について批評する、という「一大事件」は、こうして収束していった。
台湾が好きでありさえすれば、台湾で老後を過ごすというのも、案外いいアイデアかもしれない。議員やマスコミはひどいが、街にパワーもあるし、庶民にはいい人が多い。ただ、正直な退職日本人には激怒しつつも、ご本人たちは台湾脱出の方途をあれこれ考えているというのも事実である。現在私が住んでいるマンションの大家さんも、ニュージーランドへの移民を準備している。環境のこともあろうが、この土地の明日は知れないという不安が漠然とながら人びとをおおっているのも確かである。
*上の写真は24時間ニュースを流している台湾の専門局の画面
*下の写真は、ベースボールクラシックについて報道する新聞。桃太郎(日本)は四強も夢ではないと予想。



