「甦る独裁者」

総統府の主をめぐる騒動が続いている。近頃は総統夫妻自身、あるいは総統府や官邸を尋問・捜索する可能性も取り沙汰されている始末だ。
ご存知のように台湾総統府は日本時代の総督府(完成1919年)の建物を継承している。戦時中に米軍の空襲で大破したものの、それをわざわざ修復して再利用しているわけである。
修復のなった年がちょうど蒋介石の六十歳にあたったことから旧総督府は、「介寿館」(蒋介石の長寿を祝うという意味)と命名された。以来、総統府の正面には「介寿館」というパネルが貼り付けられていて、李登輝総統も陳水扁総統もその下をくぐって出入りしていたわけである(「介寿館」のパネルが外されたのは今年のこと)。
これに限らず蒋介石(字は中正)による独裁支配の痕跡は台湾中至る所に残っている。中正紀念堂はその代表格だし、桃園の国際空港は中正空港と呼ばれるし、各地方都市には必ず中正路がある。さらにいえば、中華民国の国旗や国軍兵士の徽章には中国国民党の党章が用いられているわけで、そもそもそうした党=国=軍体制を残したまま民主国家と称しているのが台湾の抱える大なる矛盾ともいえよう。
実は現在取り沙汰されている総統一家による疑惑のデパートは、家庭の家計と国家の予算がよく区別できないという独裁時代からの遺産に問題の根っ子があるのではないかと私は思っている。蒋介石時代を清算してこなかったつけが総統一家の周辺で噴出していて、それを告発しているのが国民党だという点に台湾の闇がある。

さて、かつての蒋介石・経国父子の時代、学校や役所を始め台湾の隅々に彼らの銅像が点在していたのだが、あれらはどうなったか…。台湾では、フセインさんのように倒されることはなく、国民党が野党になっても、銅像はそのまま鎮座し続けていた。だが、さすがに時代に合わなくなってきた。
そういう場合の台湾の人たちのやり方は、夜中にそっと「切る」という手法である。なんだか日本時代の鳥居の端っこを切り落としてそのまま使おうという発想に似ている(そのため台湾中に変形した鳥居が残っているのだが)。
根元からばっさり切り取られた銅像が密かに集められたのが、台北のお隣り桃園県慈湖の空き地だった。実は慈湖にはすでに本物の蒋介石が眠っておられる。彼は故郷の中国に帰りたいと台湾での埋葬を望まなかったため、火葬されることなく、当地に生身のまま安置されているのである。
慈湖には続々と各地の蒋介石さんが集まってきた。軍服姿もある。普段着もある。笑っているのも、いかめしいのも、馬に乗ったの、大きな椅子に座ったの、まさに百花繚乱。やがてうわさを聞きつけて、市民が見学に訪れるようになり、いまや駐車場に大型観光バスが往来する観光名所に化けた。その名も「蒋公彫塑記念公園」。
現在銅像の数、百十余体。さらに台湾中の軍事施設にある銅像が撤去されると、その数一千体以上とも言われ、広い公園も、またたくうち蒋介石父子で埋まってしまうことだろう。
昨年は蒋介石逝去三十周年。記念切手までが発行される人気ぶりで、混迷する政局の中、台湾の独裁者は、ますます元気いっぱいである。




