リムジンガンのご案内

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」3
いまや大企業なみのジャンマダン
チョン:ジャンマダンでは国家の儲けも多いはずなんだが。例えば、私が市場で靴の商売をやるとすると、幅五〇センチぐらいの売り場を設けてくれる…

ico_new.gif北朝鮮―自転車ばかりを狙う軍人強盗団 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年一一月末、清津(チョンジン)市で自転車ばかりを専門的に強奪する強盗団があちこちで暗躍したため、保安員(警察官)が捜査に入った…

ico_new.gif北朝鮮―またも始まった市場の「抑制」 リムジンガン
「民衆はだんだん嫌になっています」2
「おばけのやりかた」
シム:市場ぐらいは大目に見て好きに商売させてくれればいいのに。そうすれば人々の苦痛も軽くなるだろうに…

ico_new.gif北朝鮮―女児強姦犯逮捕 [事件・事故] リムジンガン
二〇〇六年夏、清津市で二四歳の男による九歳の女の子への強姦事件が発生した。女の子はその日も友達と、近所にある廃屋の周りでかくれんぼをして遊んでいた。 夕方、このあたりでは見かけない男が…

ico_new.gif北朝鮮―「私は政治犯収容所に10年いた」 リムジンガン
北倉(プクチャン)18号管理所出所者の証言 9
「隊内民」たち
さて、わが家のあの冷凍機はどこに売られたのか? ジャンマダン(市場)は「管理所」の中にはない。店といえば…

もっと見る

大村一郎のイラン現地報告 `テヘランの風`10

<核施設の街・ナタンズへの旅>
その2 再びナタンズへ

omura070501-2.jpg

翌日の各紙の朝刊は、前日のナタンズ核施設でのアフマディネジャード大統領の演説の写真を1面トップで飾った。私はそれらの新聞に目を通しながら、再びバスに揺られて南を目指していた。核施設周辺住民の話をもっと聞いてみたいと思ったのだ。
保守系、改革系、どの新聞も、一面の見出しは『イランは核エネルギーの産業化段階に入った』、あるいは『3000機の遠心分離機に6フッ化水素を注入』でほぼ統一され、紙面は祝賀ムード一色である。昨年12月の専門化会議議員選挙と地方評議会選挙で大統領派が完敗し、改革派が大幅に議席を伸ばした際、改革派系各紙はここぞとばかりにアフマディネジャード政権の性急な核政策を非難し、アメリカに付け入る隙を与えて国を危機に陥れるべきではないとする論評を載せたものだが、今朝の朝刊はすっかり保守系各紙と足並みを揃えている。


私は、昨夜テレビで見た、アーガーザーデ原子力庁長官の談話を思い出す。
「我が国の若い研究者たちは自らの人生をイランの核開発に捧げてきた。核施設に泊り込んで、毎日16、17時間も働いた。海外の企業も研究者も我々のそばにはいなかった―」。
これは言ってみれば、イラン人にとって、現在進行形の『プロジェクトX』なのだ、とそのとき私は思った。昨日の式典ではアフマディネジャード大統領も涙ぐんでいたという。改革派各紙の論陣までもが思わず愛国主義に流されてしまうのも無理もない気がした。


前日と同様、カーシャーンでバスを降り、ナタンズ市行きの乗り合いタクシーに乗り換える。核施設の前を通過する際、なにげなく前日の式典と記念日について運転手に話題を振ってみる。
「そりゃ嬉しいよ。祝うべきことさ。アメリカや西側にあれだけ圧力を受けながら成し遂げたことなんだから!」
「アメリカ人やイスラエル人のことをどう思いますか?」
「彼らの政府のやり方は気に食わないけど、べつにアメリカ人やイスラエル人そのものに対し、悪意はないよ。ユダヤ人はもともとイラン人と仲が良かったんだ。アケメネス朝だったかな、王妃はユダヤ人だったし、イスラエルのゴッズ寺院もペルシャが建ててやったんだ。あの時代はイスラムもユダヤもなかったからね。でも今だって、イスラエルの前の首相はイランのヤズド出身なんだよ。イラクの前アメリカ大使もハリーザーデって名前だったから、あれもイラン系だろう。それより日本はどうなんだよ。原爆まで落とされて、それでもアメリカとずいぶん仲良くやってるよな。アメリカ人に対する憎しみはないのか?」


イランでは、アメリカやイスラエル政府を罵る言葉は至るところで耳にするが、国民そのものに対する感情を尋ねると、この運転手のように至って冷静な答えが返ってくる。イランはまだアメリカともイスラエルとも戦争をしておらず、アメリカやイスラエル兵の手で無残に同胞を殺されるという経験がない。それが、イラン人にこうした理性を残している所以かもしれない。一方で、20万人近い犠牲を伴ったイラクとの8年戦争を経て、イラン人はいまだにイラクの国民に対する嫌悪感を捨て切れず、米軍占領下のイラクの惨状を見ても、概して冷淡である。同じように、ひとたびアメリカによる空爆が始まれば、イラン人のこうした理性も瞬く間に消し飛んでしまうに違いない。
タクシーは荒野の中の一本道を恐ろしいスピードで走り続ける。スピードメーターは壊れていて、時速何キロなのかは分からない。右手に見えていたキャルキャス山脈の山並みが険しさを増し、鋭い岩盤の頂に残雪がところどころ見られるようになると、左手前方に、緑に包まれたナタンズ市が見えてきた。


ナタンズ市は人口1万5千人ほどの、ありふれた地方都市だ。キャルキャス山中には桃源郷のような美しい山村が散らばり、そうした周辺住民も含めれば、3万人近い人々がこの一帯に暮らしている。ナタンズ核施設は、実際にはこの町より若干カーシャーン寄りにあり、施設で働く労働者もほとんどカーシャーンの人だと聞く。しかし、ひとたびアメリカによる核施設への攻撃が始まれば、まっさきに放射能汚染で壊滅するのは、風向きから考えて、施設の南部に位置するこのナタンズ市周辺地域である。


タクシーは親切にも町の中心イマーム広場の宿の前まで送ってくれた。この小さな広場を中心にバザールとも呼べない小規模な商店街が広がり、その先には、藁を混ぜた土塀作りの旧市街がある。迷路のような旧市街の中には、水パイプの軸を作る木工職人や、陶器職人の店があり、その先にこの町の歴史遺産である古いモスクがある。このモスクの建立は10世紀のブワイフ朝時代にさかのぼり、その後14世紀のイルハーン朝期に増築され、ほぼ今の形となった。金曜モスクとして現在も現役で、夕方の礼拝時間になると、モスクのスピーカーから礼拝を呼びかけるアザーンが流れる。旧市街の暗い小道にアザーンがこだますると、あちらこちらの家から、男たちが木戸を開けて顔を出し、互いに挨拶を交わしながらモスクへと向かう光景が見られる。


翌朝、宿を出ると、イマーム広場のすぐそばでは野菜の朝市が開かれており、イラン人の食卓に欠かせないハーブ類が山積みで売られていた。写真を撮ってよいかと男性の売り子に尋ねると、それは勘弁してくれと立て続けに首を振られた。イランでは頼まなくても向こうから「俺を撮れ」と言ってくるのが普通なのだが、ここでは若い男性の売り子のほとんどから撮影を拒否され、「あのじいさんならきっと撮らせてくれるよ」などと教えられる始末だった。
昨日は昨日で、宿を取る際、宿のオーナーはわざわざ役所に電話して、外国人を泊める許可を求めていた。この町自体が明らかに外国人を警戒している様子で、これまでイランでは体験しなかったことばかりだ。


その後、町の人に昨夜の宿のことや、撮影拒否の話をしたところ、
「まあ、核施設のこととか、色々あるからね。でもあんまりそういうことは話さない方がいいよ」
と忠告してくれた。イラン国中が核技術国民記念日に沸く中、当のナタンズ市民は、この問題を避けるかのように、普段と変わらずひっそりと暮らしている。
そんなナタンズだが、金曜モスクは今日も何組かの外国人ツアー客でにぎわっている。ツアー客が甘やかすからだろう。小学生の子供が私を見ると駆け寄ってきて、「ペンをちょうだい」とねだる。身なりのこぎれいな普通の子供たちがそんなことを言うので、「乞食でもないのにそんなことを口にするもんじゃない」と説教してみるが、けらけらと笑いながら行ってしまった。


しばらく旧市街を歩いていると、また下校途中の小学生に出会った。その二人組みはこぎれいな身なりとは言い難く、坊主頭で、背の低い方の子は明らかに兄弟のお古と思われるぶかぶかのセーターを着ていた。写真を撮らせてくれと頼むと、「アフガン人なの?」と訊いてくる。
「違うよ。日本人だよ」
「カーブルから来たの?」
「だから違うってば」
「写真ならあっちで撮ろうよ」
彼らはそう言うと、私を先導して駆け出した。着いた先は、誰かの私有地のようだが、辺り一面ユリに似た小さな白い花が咲き乱れ、桜の木も満開である。そこで彼らは木に登ったり、花を摘んだりしながら私に写真を撮らせてくれた。聞けば、やはり二人は兄弟とのことだ。上の子がモハンマド君12歳、下の子がアリー君10歳。


「もっときれいな場所もあるよ!」と彼らはまた私を先導して歩き出した。道路を外れて、誰かの農園をそのまま横切って行く二人を、急ぎ足であぜ道沿いに追いかける。数分歩くと、さきほどよりきれいな花畑にたどり着いた。彼らに撮った写真を送ってあげようと思い、住所を聞いてみたが、二人とも正確な自分の住所を知らないという。家に行ってみれば分かるだろうと思い、そのまま二人の家へと向かった。
途中、彼らは何人かの人を指差しては「あれはアフガン人だよ」と教えてくれる。なぜ分かるのかと訊くと、知ってる人だからと答える。
「君たち、もしかしてアフガン人?」
「そうだよ!いつかカーブルに行くんだ。その前にゴムとマシュハドにも行って、マシュハドには親戚がいるんだ。それからキャルバラにも参拝して、あ、あのおじさんもアフガン人―」
「お父さんは何してる人?」
「レンガ積みだよ」


弟のアリーがどこかへ消えたかと思うと、しばらくしてキュウリとリンゴの入ったビニール袋を片手に嬉しそうに戻ってきた。バザールまでひとっ走りして、知り合いのアフガン人の売り子からもらってきたのだと言う。キュウリをぽりぽりと3人で頬張りながら歩き続ける。もうずいぶん町外れまで来てしまった。
「もうすぐだよ。近くにはイマームザーデ(歴代イマームを祭る参拝所)があるんだ」
そのイマームザーデもかなり過ぎて、周囲が農園ばかりになった頃、ようやく彼らの家に到着した。壁があちこち剥がれ落ちた古い家だ。あいにく両親は留守で、家には番地の札も付いていない。残念だが、住所は諦めるほかなさそうだ。
彼らはイマームザーデに遊びに行こうと誘ってくれたが、私はそろそろこの町を出発しなければならなかった。小さな手のひらと握手を交わし、二人の家をあとにした。(つづく)