<核施設の街・ナタンズへの旅>
その3 アメリカへの不信感

その日の午後、私はナタンズの町から程近い、キャルキャス山中のアービヤーネ村に向かった。アービヤーネ村は、山の斜面にある、赤土の壁で統一された美しい景観の村として有名で、観光客にも人気がある。
しばらく村を散策してみるが、平日のせいもあって実に閑散としている。観光客向けに整備された村のメイン道路には、ぽつりぽつりとお土産のドライフルーツを売る老人がたたずんでいる以外、誰一人目にしない。聞けば、若い人たちは皆、都市部へ働きに出ているという。町で売られている電気乾燥のドライフルーツとは違い、ここのドライフルーツは天日干しで、そのためか甘みが強くておいしい。しかし季節柄かリンゴと梨しかない。他にお土産らしいものは見当たらず、安い食堂や宿もない。せっかく海外の旅行ガイドにも乗っている有名な村なのに、これでは観光客がお金を落とそうにも、落としようがない。
村を出ようとしたところ、中年男性ばかりが乗った一台の乗用車が私の傍らで停まった。私がナタンズ方面に向かうと知ると、乗せていってくれるという。彼らはサーデラート銀行の監査役で、アービヤーネ村支店の監査のため、村から40キロほど離れたバードルード市からやってきていた。車を運転しているのは、アービヤーネ村支店の支店長である。
車中では話がはずみ、幹線道への分岐で下車する予定が、せっかくだから今夜はバードルードまで一緒に行って、彼らの寝泊りする銀行支店に泊まってゆけということになった。
バードルードはナタンズの北東20キロの地点にあり、鉄道や古くからの街道沿いにあることから、ナタンズ市より幾分活気がある。人口は2万人ほど。「風の河」を意味するバードルードは、その名の通り風が強い。町の周囲は、この町の特産であるザクロの広大な果樹園に囲まれ、果樹園の新緑が、荒野を渡ってくる強風を和らげる役目を果たしている。
町の中心街にあるサーデラート銀行の前で監査役の二人と私を車から降ろすと、アービヤーネ村支店長は村へと帰っていった。イランでは銀行の建物の上階は、たいていその支店の支店長宅になっているが、ここでは関係者の宿泊所になっていた。今夜ここへ誘ってくれた監査役のモフセニーさんとジャアファリーさんは、一週間近くここに寝泊りしながらアービヤーネ村支店へ毎日通っていたという。だが、その仕事も今日でようやく終わり、明日は本店に帰れるのだそうだ。モフセニーさんはさっそく家に電話をかけ、明日は家に帰れると家族に報告している。
「こんなふうにいつも地方を飛び回っているんですか?家族と離れ離れで、大変なお仕事ですね」
私がそう言うと、ジャアファリーさんは、
「いや、地方出張はローテーションになっていて、一ヶ月に一回、一週間の出張が回ってくるんだ。会社も考えてくれているよ。イラン人にとって、家族は何より大切なものだからね」
と言い、モフセニーさんの電話が終わるや、今度は自分がかけ始めた。
テレビでは夕方のニュースが始まっていた。イラクで拉致され、最近解放されたばかりの在イラク・イラン領事館の二等書記官のニュースが流れていた。この二等書記官はイラク北部アルビルのイラン大使館に勤務中、米軍の急襲を受け、そのまま連れ去られて行方不明になっていた人だ。4月に入ってようやく解放され、イランに帰還すると、拘束中に激しい拷問を受けたことを公表した。アメリカはこの件への関与を否定しているが、イランはCIAの関与を確信し、国連や国際赤十字を通してアメリカに抗議している。
テレビの画面には、二等書記官の身体に残る生々しい拷問の傷跡が映し出されている。足には何箇所もドリルによって開けられた穴が残り、脊髄も損傷している彼は、車椅子での生活もままならない。
「見なよ。あれがアメリカのやり方だ。人間性のかけらもない。イラン人は絶対あんなことはしない。文化の違いだよ。アメリカは歴史がないからな。人間性の面で培われてきたものもないんだよ。あれでよくよその国の人権がどうこう言えるよ。イラン航空機爆破事件を知っているか?1988年にペルシャ湾で、アメリカ艦艇によってイランエアーの航空機が撃墜され、乗客290人が殺されたんだ。そういうことを平気でする国なんだ」
ジャアファリーさんはテレビを見ながら憤っている。どうにも怒りが収まらないらしい。私はそのときになって、サーデラート銀行がアメリカによって経済制裁の対象銀行にされていることを思い出した。ジャアファリーさんは頷くと、こう言った。
「そうだとも。そのせいで、まあ、いくらかの損害は受けたよ。うちを介してイランと貿易を行っていたヨーロッパの企業は、他の銀行に変えざるを得なかったしね」
ドアのベルが鳴ったかと思うと、階下からアービヤーネ支店長が鍋を抱えて上がってきた。遅くなって申し訳ないと挨拶しながら、絨毯の上に食布を敷いて、ご飯や鳥のトマト煮、ヨーグルト、ハーブのサラダなどを並べ始める。奥さんの手料理だという。わざわざアービヤーネ村に戻って取ってきたのだそうだ。私たち3人が食事をしている間も、支店長はキッチンで食器を洗い、食後のお茶の用意までして、さらに私のために明朝のバスの時間をバス会社に電話で問い合わせてくれた。支店長は食後の鍋や皿を集めると、「何か他に御用はないですかな」と丁重に尋ね、この一週間の監査役の苦労をねぎらい、帰っていった。監査役二人は、別に偉そうにふんぞり返っているわけでは決してないが、やはり監査する側とされる側では、立場がずいぶんと違うようである。
食べ過ぎて動けないという私を、モフセニーさんが散歩に誘ってくれた。あらかた店を閉め、閑散とした夜の商店街をぶらぶらと二人で話しながら歩く。
「アフマディネジャード政権というのは、イラン人にとって、どうなんでしょう。この1年半、よくやっていると思いますか?」
「ああ、よくやっていると思うよ。ハタミ政権に比べれば色んな違いはあるけれどね。例えば? そうだね、ハタミ政権では、表現の自由や欧米との関係改善が進んだよね。一方、アフマディネジャード政権は、その逆の面もあって、幾分過激な言動も見られるけど、国内の団結や、地域諸国や途上国との関係強化を進めている。ハタミ政権とアフマディネジャード政権は正反対の性格のように映るけど、どちらも目的は一つ、国家の発展だ。そういう意味では同じだよ。改革派だ、保守派だと争っても、国の発展を目指すという意味では同じなんだ」
「アフマディネジャード政権の核エネルギー政策は少し性急だと思いませんか?下手したらこれを口実にアメリカは攻めてきますよ」
「いいかい、アメリカの目的はイランに核開発を放棄させることなんかじゃない。イランのイスラム共和制を崩壊させることが目的なんだ。革命から28年、アメリカはいつだってそのチャンスを狙って、言いがかりをつけてきた。核開発も口実の一つに過ぎないんだ。たとえイランがアメリカのご機嫌を取って核開発を中断したとしても、また別の口実を持ち出してくるだけさ。つまり、我々が核開発を進めようが進めまいが、アメリカの政策は変わらないってことさ」
「でも、近い将来、もしアメリカが期限を設けて、例えば一ヶ月以内に核開発を停止しなければ、地域の安定を乱す要因と見なし、イランの核施設を空爆する、というような最後通牒を突きつけてきたら、イラン政府と国民はどういう選択をするんですか? つまり、戦争してでも核開発を進めるつもりですか?」
「まずね、イラン政府は性急な結論を出さないで、戦争でも核開発停止でもない選択肢を模索するだろうね。それともう一つ、アメリカがイランを攻めることはないと思うよ。イラクとアフガニスタンであれだけ苦い経験をしてるんだから」
「そうでしょうか。アメリカがイラク攻撃をほのめかしていたとき、世界中は、アメリカはアフガニスタンで手いっぱいだからと、イラク攻撃には半信半疑でした。しかし、結局アメリカはイラクを攻撃しました。イラン人は少し楽観的すぎやしませんか?」
「イランは、イラクともアフガニスタンとも違う。イランの団結や軍事力、地域諸国とのつながりは、アフガニスタンやイラクの比じゃない。さっきも言ったけど、イランは改革派と保守派で分裂しているわけじゃない。冗談でアメリカが来てくれたらなあなんて言ってる若者たちだって、ひとたび侵略者が攻めてきたら、きっと銃を持って戦う。この団結と軍事力に対し、アメリカは勝利できない」
私はモフセニーさんの話を聞きながら、以前に何度も似たようなやり取りを繰り返してきたことを思い出した。核問題だけに注目していると、つい全体が見えなくなってしまう。本当はイラン人にとって、イラン核問題に対するアメリカの横槍など、これまで繰り返されてきた言いがかりの一つにすぎないこと。アメリカの言い分などいちいち聞いていたら何も出来ないこと。アメリカの真の目的がイスラム共和制の崩壊であること。これらアメリカ政府のイランに対する根本的な悪意を、イラン人は既存の事実として受け入れてしまっているのだということを、私はようやく思い出した。
散歩を終えて宿舎に戻ると、ジャアファリーさんが暇そうにテレビを見ている。モフセニーさんが私とのやり取りをかいつまんで説明すると、ジャアファリーさんはやおら起き上がって、我が意を得たりといった顔で語り始めた。
「そうさ、アメリカはイランには勝てない。アメリカだってよく分かっているはずさ」
「アメリカにそれだけの分別があればいいんですけどね……。だって、アメリカって結構目論見違いの失敗を繰り返してますよ。イランの団結や軍事力だって、しっかり把握しているかどうか、怪しいもんです」
「いいさ、仮に攻めて来たら来たで、戦うだけだ。それが正義だ。国を守るために戦うこと以上に尊い行いはない。そうじゃないか? イラン人の意識は、間違っているか?」
「いえ……。イラン人はみんな、イマーム・ホサインなんですね」
私がそう言うと、
「よく分かってるじゃないか!」
と二人は満足げに笑った。
イマーム・ホサインはシーア派三代目イマームで、ササン朝最後の皇帝の娘を娶ったことなどから、古くからイラン人に人気がある。西暦680年、4000人のウマイヤ朝軍に対して、73人で立ち向かい、自らの正義と信仰を貫いて殉教したキャルバラの悲劇は、毎年イスラム暦モハッラム月に行われる追悼行事アーシュラーを通して、今もイラン人を陶酔させてやまない。イマーム・ホサインはシーア派にとって、権力と圧制に対する正義の戦いのシンボルであり、近代では革命や戦争の中で常に重要なファクターとして精神的かつ政治的な役割を果たしてきた。イマーム・ホセインの物語のなかでは、死は勇ましく、尊く、そして美しいものなのだ。
翌朝、私は二人に別れを告げ、テヘランへ戻る車中の人となった。
荒野の中を、比較的古いアスファルト道が北へと伸びている。荒野にはラクダ草に混じって、黄色い小さな花が随所に見られ、砂漠にもはかない春が訪れていることを教えてくれる。そんな景色の中に、点々と高射砲台が見えはじめ、核施設のそばまでくると、それは数100メートル置きに並ぶようになった。朝の7時前からすでに砲手は砲台に上り、何もない曇り空を睨んでいる。聞いた話では、核施設に対する空爆ないしミサイル攻撃には、まず迎撃ミサイルが応戦し、これら無数の高射砲はその後の補完的な役割を果たすのだという。
地中深く、厚いコンクリート壁に覆われたウラン濃縮施設を破壊するため、アメリカとイスラエルは、普通のバンカーバスター(地中貫通弾)ではなく、小型核を搭載した核バンカーバスターを使用するのではないかと言われている。そのため、ナタンズは、広島・長崎以降、世界で初めて核攻撃される危険が最も高い場所と言われている。
以前、アフマディネジャード大統領は演説の中で、「核施設が攻撃されて破壊されたなら、さらに良いものをまた作ればいい」と国力を誇示する発言を行なった。この発言には、周辺住民の甚大な被害に対する視線はない。
同じように、アメリカとイスラエルは、「核施設という軍事目標へのピンポイント攻撃」の了解を、いずれ世界に求めるかもしれない。しかし、核施設への‘ピンポイント’攻撃などありえないということを、世界の人々は知ってほしい。(終了)



