露天食堂の客がこぼした食べ物を披露男の子。1998年10月江原道の元山市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)

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1998年の初春、三度目の北朝鮮入国を果たし北東部の地方都市に入った筆者は、平壌ではまったく目にすることがなかった闇市場に迷い込んだ。そこで目撃したのは、飢えた子どもたち…コチェビ(浮浪児)の群れだった。

◆飴玉騒動

私に向かって差し伸ばされた十数本の小さな手は、どれも(すす)けて黒く汚れていた。

闇市場をしていた5~6歳とおぼしき男の子に、飴玉をあげようとしたときのことだった。側にいた子どもたちが飴玉に感づいて、我も我もと手を差し伸ばしながら私に突進してきたのだ。身体の大きな子が小さい子をなく突き飛ばし、血相を変えて私に向かってくる。勢いに押され、私は2歩、3歩と後ずさった。

大勢の人出でごった返していた闇市場は、飴玉の奪い合いでちょっとした騒動になってしまった。騒いだ子どもたちは、「商売の邪魔だ」と周りの大人に引っぱたかれ、私も、秩序を乱した張本人として何百という視線を浴びせられることになってしまった。

1998年3月から4月にかけて、私は「虹の架け橋」というNGOの北朝鮮食糧支援の監視活動(モニタリング)に同行して、国境の川・豆満江を渡り北東部の(ハムギョンプクド)に入り、北朝鮮に3週間あまり滞在した。

NGOが活動の拠点にしようとしたのは (ラソン) 市で、ここを宿泊と物資保管の基地にして、羅先地区を外れて(ウンドク)などの地域に食糧を運び込む計画だった。ところが、中国から列車で発送した肝心の支援食糧が、北朝鮮の鉄道事情の悪さのため羅先市になかなか到着しない。私たちは列車を待つ間、することもなく、一日中ホテルの周辺で時間を潰すことになった。

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