1996年から北朝鮮の山に新しい墓が続々増えているのが中国側から見ても分かった。1997年8月中国側から撮影した咸鏡北道茂山(ムサン)郡付近の山肌。撮影石丸次郎

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大事な話があります――。

2000年8月、中国での取材中のことだった。Kさんから連絡を受けて私は取材を早々と切り上げ、Kさんの住む北朝鮮国境近くの街・延吉市に向かった。

Kさんは中国籍朝鮮人=朝鮮族である。年齢はこのとき35歳。山菜の卸しなどのいを生業として質素に暮らしてきた。このKさんが、元在日帰国者難民・李昌成さん一家4人の中国での保護者である。

1998年2月に昌成さん一家は国境の川・豆満江を越え中国に逃れた。ずぶ濡れのまま飛び込んだ一軒の見知らぬ農家がKさんの知人の家だった。何とか助けてほしいと懇願する浅黒く痩せこけた一家を、この農家の主人はKさんに預けることにした。国境そばの村は警戒が厳しく、公安や国境警備兵が頻繁に家を訪ねてくるからだ。

「しばらくうちにいなさい」

連絡を受けた人のよいKさんは自宅の一部屋を提供した。「しばらく」は、その後2年近い月日となる。

縁もゆかりもない、見ず知らずの昌成さん一家を、Kさんが一時的に保護することにしたのは、

「日本の親戚と連絡が取れれば援助してくれるはずだから、それまで何とかってほしい」

と懇願されたからだ。

Kさんは長く飢えた暮らしをしてきた四人に、食事だけは存分に食べてもらおうと気を遣った。「五年間食べていない」という肉もふんだんに出してあげた。しかし、同情にも限度がある。中国語を解さない北朝鮮難民には、働ける場所もほとんどない。外出もままならないので「食っちゃ寝」するだけだ。

食費や衣服代、病気になったときの薬代、日本への国際電話代などもろもろの金銭的負担も、次第に重荷になっていった。そして何より、逮捕される危険がKさんを精神的に圧迫した。

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