北朝鮮で撮影された幼少時代のスギョン(右)とスミ。1984年頃か。

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私は、大阪からまた朝中国境に向かった。 私から、日本親族からの支援は望めないという報告を聞いた李昌成さん一家とKさんの落胆については、述べるまでもないだろう。 その後も、Kさんはどうしたものか思い悩み、ずるずると時間だけが過ぎていった。昌成さん一家は、一日中私の取材拠点のアパートで、朝起きて、食べて、テレビを観て、晩飯を食べて寝るだけである。

これからの方針など思いつきもしない。 ついに保護者のKさんは、先に述べたように決心するに至る。 「大事な話があります――。延吉に戻ってきてください」 Kさんから電話でそう告げられたとき、私は、 「これまでかな……」 と、昌成さん一家と別れの日が来ることを覚悟した。

私が延吉のアパートに戻ると、昌成さん英子さん、娘のスギョンとスミは、無言で中国語のテレビ番組を観ていた。少し遅れてKさんが深刻な表情で部屋に入ってきたのでスミがテレビを消し、一同は車座になった。 「もう、僕にはあなたたちの面倒を見切れません。

中途半端で申し訳ないけれど、この調子ではいつ逮捕されるかわからないし、保護していく資金もないんです」 Kさんが単刀直入に切り出したのは、やはり「最後通告」だった。重苦しい沈黙が続いた。手元にあるのは昌成さんの甥のCさんから託された30万円だけだ。Kさんが「最後通告」として提案したのは次の3つの方策だった。 (1)北朝鮮に戻る (2)延吉を離れ黒竜江省などの農村に行って自力で暮らしていく (3)中国からモンゴルなどの第三国に密出国する

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