中露国境の満洲里駅でモスクワ行の国際列車に乗り込む李さんら。2000年10月支援者撮影。

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李昌成さんら一行が到着する当日、今後の計画と、ロシアに出てきている北朝鮮難民の状況について聞くために、Q牧師と会うことにした。モスクワが初めての私にもわかりやすい場所として、Q牧師はクレムリン宮殿そばのワシリー聖堂を指定してきた。

ワシリー聖堂のすぐ前が、かの「赤の広場」である。観光客がのんびりと行き交う赤の広場を眺めながらQ牧師を待っていると、取り留めもない思いが頭の中を駆け巡った。

かつてスターリンも、このクレムリン城の上から赤の広場を埋め尽くした群衆に演説をぶったことだろう。スターリンによって北朝鮮の指導者に取り立てられたのが金日成である。

そのスターリンは死後フルシチョフの批判に晒され、亡骸はレーニン廟から取り出され火葬に処された。ソ連―ロシアでもスターリンは否定された存在である。そのスターリンの亡霊と1994年に死んだ金日成の亡霊にしがみついている国が、現在の(当時の)金正日の北朝鮮である。

社会主義総本山のソ連は消滅したが、スターリンの“忠実な息子”だった金日成の北朝鮮労働党政権は生き永らえている。そして、そこから決死の脱出を試みた昌成さん一家が、何の因果か、巡り巡ってモスクワに来ようとしているのだ―。

クレムリンを眺めながら、そんな思いに一人耽っていると、50歳くらいの小柄な東洋人の男性が小走りに近づいてきた。Q牧師だった。

轟音を立てる旧ソ連製自動車「ラーダ」の助手席に私を座らせると、Q牧師は車を発進させた。

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