UNHCR籠城決行の前日に撮影したチャン•キルス一家。緊張がみなぎっている。

命がけの行動を覚語していたので迷いは見えなった。前列左がリーダーのチュノクおばあさん67歳。2001年6月北京で撮影石丸次郎

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「一家を連れて北京のUNHCR事務所に入り、難民地位認定と韓国行きを求めてするつもりだ」

文氏が私に計画を打ち明け、駆け込みからまで同行取材してほしいと要請してきたのは、2001年5月半ばのことだった。

もし彼らが本気で国際社会に北朝鮮難民問題の深刻さを訴える行動に出るなら、どのような決着であれ最後まで見届けたいと私は思った。直々のご指名もジャーナリスト冥利に尽きる。だが、駆け込み計画が成功するかについては懐疑的だった。

当時の事情を打ち明けると、私はこの計画はあまりに無謀だと思い、文氏には再三中止したほうがよいのではと意見を述べていた。失敗すると一家全員一網打尽になる危険性もあるし、またUNHCRの事務所に入れても、中国当局がどのような態度に出てくるか予測ができなかったからだ。

6月中旬、私はとりあえず中国に飛んだ。大連の隠れ家では文氏とキルス一家10人が激論を交わしていた。まだ一家の中で意見は一致していなかった。一家でもっとも気性が激しいのはキルスの母方の祖母、キム・チュノクさんだった。一度捕まって強制送還された経験があるだけに、ほかの家族が迷いを見せても彼女の考えは明快だった。

「このまま中国で隠れ住んでいても、難民取り締まりがこうも厳しくては、いつかは捕まる。それなら、国連に乗り込んでいって世界中に訴えるほうがいい」

チュノクおばあさんの強硬意見につられて、一家の方針は次第にラディカルな方向に振れていった。行動にもっとも消極的だったキルスの伯父リ・ドンハクさんまでが闘うと言い出した。

「飢えから逃れ、自由を求めて出てきた我々に何の罪があるというんだ。国連に行って、我々の言うことが正しいのか、金正日の独裁が正しいのかはっきりさせようじゃないか!」

万一UNHCR突入に失敗すれば、北朝鮮送還は避けられそうにない、だがモンゴルなど第三国に密出国する方法であれば、途中で逮捕されても隙を見て逃げ出せるかもしれない、そう考えた年長の少年3人は、別働隊としてモンゴル国境を目指して出発することを決めた。

6月22日、一家は総意として“決起”を決め、バスで北京に乗り込んでいった。

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