吉林省に潜伏中のキム・ハンミの家族と。2001年1月(アジアプレス)


■証拠力の強い取材目指す

接近の難しい北朝鮮の取材が困難なことは、本書中で繰り返し述べた。それではどうしたら、「北朝鮮が大変なことになっている」ことをしっかり調べ、伝えることができるだろうか? 多くの人を納得させる北朝鮮リポートはどうやったら作ることができるだろうか?

結局行き着いたのは“証拠力の強い”取材をしなくてはならないというジャーナリズムの基本であった。そのためには問題の核心に近づくこと以外にない。こうして北朝鮮の実像に近づくための朝中国境通いが始まった。

世界最強の情報鎖国国家・北朝鮮に風穴を開けたのは、なんといっても1997年から発生した大量の越境者・難民たちだった。できるだけ大勢の越境者・難民に会うことで、彼・彼女らの証言から得られる情報は多様になり、深くなり、確度は飛躍的に高まる。

さらにアン・チョルやキム・ホンのような勇敢な北朝鮮人の登場によって、北朝鮮内部の状況が映像で記録されるという、観れば万人が納得する“強い証拠”が世の中に提示された。

越境者・難民たちへの取材は、隣の国で100万単位の餓死者が出ているという、戦慄を覚えるような現実を私に突きつけた。北朝鮮の人々は未曾有の大飢饉の中でどのように生き抜き、どのように死んでいったのかという、人間の生の根源的な問題を否応なく考えさせられ、頭を打ちのめされたこともたびたびであった。

■飢饉がサラムたちとの出会い作る皮肉

一方で北朝鮮からの難民流出という事態は、皮肉にも私に北朝鮮の普通の人々と深く付き合うチャンスを与えてくれることになった。言葉が通じることもあって、北朝鮮の庶民が何を考え、望みながら暮らしてきたのかを知ることは、とても楽しい経験となった。

私は、できるだけ長い時間を北朝鮮難民と共に過ごすため、朝中国境現地に借りたアパートに、寄る辺のない彼らを招いて共に生活してみた。そのときの体験やインタビューは本書中でもたくさん紹介している。

サラムとは朝鮮語で“ひと”という意味である。インフォバーン社版の原拙著のタイトルを「北のサラムたち」としたのは、私たちと同じ時代を、すぐ隣で生きている、生身の北朝鮮の人々のことを、描きたいと思ったからだ。

1990年代に入り、量的には膨大な北朝鮮報道がなされてきたが、私たちはその実、隣国に生きる人々が、何に喜び、悲しみ、どのような日々を暮らしているのか、その姿をさっぱり知らないままであった。
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