秘密撮影によって大飢饉の実態を世界が見ることになった。1998年10月元山市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)


■ハンミ一家が日本社会に与えた衝撃

日本社会に住む大部分の人たちにとって、生身の北朝鮮の人間の存在に触れたのは、瀋陽日本総領事館駆け込み事件が初めてのことではないかと思う。領事館敷地外に引きずり出そうとする中国武装警官に抗って、幼いハンミの母と祖母が、渾身の力で門扉にしがみつくシーンは、“国境”=ボーダーである門扉の向こう側に入り込みさえすれば命が助かると考えていた一家の、「生き延びたいという思い」が凝縮されていた。

駆け込み数日前に支援者によって撮影された映像の中に、ハンミの母リ・ソンヒさんが涙を流し、それをハンミが拭う姿が映っていた。そこに日本社会は初めて「北朝鮮人も悲しんで泣くのだ」という人間として当たり前のことを確認したと思う。

元在日帰国者の難民・李昌成さん一家とは、長い時間を延吉市のアパートで共に過ごした。1999年8月に撮影石丸次郎


■サラムを知らない金正日

2000年6月に平壌で行われた史上初の南北首脳「金大中―金正日会談」の際、金大中氏は金正日氏にソウルを訪問するよう求めた。これに対し金正日は、

「私のソウル訪問は、我が人民たちが許さないでしょう」と答え、ソウル行きを約束することを渋った。彼の言う「人民」とは誰のことだろうか?

それは顔の見えない、実体のない空虚な呼び名のように聞こえる。金正日氏の言う「人民」という言葉から私が連想したのは、“働きアリの群れ”であった。私が描きたかったのは、北朝鮮の権力者が使う無機質な「人民」という呼称の対極の、一人ひとりの顔を連想させる「サラム=ひと」なのである。おそらく、金正日氏は「サラム」のことを知らないのだろう。

本書を世に出せたのは、言うまでもなく「北のサラム」たち、つまり多くの北朝鮮越境者・難民との出会いがあったからだ。私たち北朝鮮の外に住む者は、これまで長い間「北のサラム」に出会うことができなかったが、本書を読んで彼らの存在を少しでも知っていただけるなら幸いだ。

これまで出会った「北のサラム」一人ひとりに心から感謝を捧げると共に、一刻も早く、飢えと抑圧から解放される日が来ることを祈りたい。そして、その日まで私は、「サラム」たちと会い続けていくつもりだ。なお、あわせて拙箸『北朝鮮難民』(講談社現代新書)をお読みいただければ、北朝鮮難民問題の構造と現状についてさらにご理解いただけると思う。

最後になったが、月刊誌「サイゾー」(インフォバーン)で「北のサラム」の連載を企画し3年間にわたって編集を担当していただいた中村正則さんに格別の感謝の言葉を記します。

2002年8月  石丸次郎

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