韓国で生まれ育ち、5年前に来日してジャーナリスト活動を始めた私にとって、もう一つの祖国=朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、いま一体どうなっているのかは、非常に大きな関心事である。
北朝鮮の人々が、どうように暮らし、何を考え、何を望んでいるのかは、同じ民族として、また将来の南北統一を考えた時、決して他人事ではない。

近年、日本のメディアは北朝鮮に関する膨大な量の情報を流し続けている。だが、その報道のどこまでが真実なのか、私には正直なところよく分からない。
はたして北朝鮮内部でどのようなことが起きているのか?自分の目で確かめるため、この8月、私は中朝国境を25日間歩いた。

中朝国境の都市・丹東
8月上旬、北京から列車で14時間かけて、遼寧省の南東部にある丹東を訪ねた。丹東市は、鴨緑江(全長約790キロメートル)を挟んで北朝鮮の新義州(シンウィジュ)と向き合う国境の都市だ。
丹東と新義州を結ぶ鴨緑江大橋(中朝友誼橋)は単線の鉄道と道路が併設されている。平壌(ピョンヤン)を出発、新義州を通過して中国の首都・北京に向かう国際列車がここを走り抜けていく。また、ここは戦前、日本から傀儡国家・満州国に入る通過点でもあった。下関から釜山へ船で行き、列車でソウル、平壌を通って、新義州を越えると、丹東(当時は安東)から先は、満州鉄道に連なっていたのだ。

現在、人口約70万人の丹東市には、長年北朝鮮と貿易をしている漢族や朝鮮族が多い。中国側の税関の周辺に行ってみると、北朝鮮に向かおうとしているトラックが列を作り、左胸に金日成(キム・イルソン)バッチを付けた人々が大勢集まっている。ほとんどの人が、黒や紺色、褐色の上着やズボンを身に付けており、遠目にもその地味さですぐ北朝鮮の人々だと分かる。
目の前で北朝鮮の人々と直接に対面したのは初めてだが、声をかけることはなかなか勇気のいることだった。朝鮮戦争の休戦から50年以上が経った今でも、韓国人の私と彼らの間には、互いに声をかけることもはばかられる、心理的な`壁`が存在していることを実感した。
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