406843_20071101110930_1.jpg【2005年5月、「竹島問題」で日韓関係が緊張するなか、「独島ツアー船」に同乗して渦中の竹島(韓国名:独島)取材へ向かう。写真は竹島の遠景】©ASIAPRESS

日本のマスメディアの記者たちが戦場取材を避けるようになったのは、ベトナム戦争終結後以降のことである。
例えば、1979年のソ連によるアフガン侵攻では、89年のソ連軍撤退までの10年間で、ゲリラの解放区へ越境取材を行ったマスメディアの記者は、NHKの園田矢(元解説委員)と朝日新聞の吉村文成(元インド特派員)だけだと思う。

一方、フリーランスは延べ数十人がパキスタンから国境を越え、ムジャヒディン(イスラム戦士)の戦いぶりをビビットに伝えていた。
内戦の最前線の取材はフリーランスの独壇場だったといえる(私はマスード司令官将軍に会うため、83年の春、カブールの北方まで1ヶ月の従軍取材を行った)。

ベトナム戦争当時、マスメディアの記者たちが前線へ足を踏み入れたことを思えば、戦争報道において「後退」した感は否めない。
またサマワで活動していた自衛隊については、04年に起きた日本人人質事件以降、数人のフリーランスを除いて、マスメディアによる現地取材はほとんど行われていない。
これも自衛隊情報のブラックボックス化を作り出してしまった。

(2)なぜ北方四島、竹島の取材を自粛するのか
数年前、フリーランスの日本人ジャーナリストが北方四島を訪れた。
目的は島に住むロシア系住民たちの「返還」に対する意識を探ることだった。
四島には多くのロシア人たちが住んでおり、彼らはいま何を考えているのか。

返還運動を進める日本人にとっても、彼らの心の内を理解する必要があった。
彼の映像取材をアジアプレスでテレビプロデュースすることになった。「無事、撮影を終えた」という報告を受けて、私はあるニュース番組へ企画の打診を行ったのだが、ディレクターは「野中さん、このテーマは相当な根回しが必要ですね」と顔をしかめた。

そして「ビザはどうしましたか」と尋ねてきた。
「ロシアのビザを取りました」と答えた時点で、企画はボツになった。
理由は簡単である。

「外務省から『北方四島は日本固有の領土である。ロシア側からビザを取って訪れると、ロシア領であることを追認することになる。そのような取材はやめてほしい』と要請されている」
05年5月、竹島(韓国名・独島)へ上陸取材したときも、特派員から同じ理屈を聞いて、耳を疑った。
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