080212_APN_nonaka001.jpg【どれだけテレビで知名度があるか、応援演説に有名タレントを呼べるか。それが「勝てる候補」。テレビが政治をバラエティー番組化し、政治家はテレビを利用する】

いま「臣民化症候群」ともいえる現象は、個人から国家の領域まで、さまざまなレベルで観察することができる。
日本は米国へ忠誠を誓うことで自ら「属国化」を望み、教育現場では子どもたちへ「愛国心」を埋め込むことで、文字通り新たな「臣民」を作り出す。

止めは憲法の「改正」である。憲法は政府を縛るものから、「国民」を管理、「臣民化」するものへと変更されようとしている。
「臣民化」が危機的な水域に達していることは、学生たちと接していても顕著である。
ある国立大学で「イラクへの自衛隊派遣について、あなたの意見を聞かせてください」と問うたところ、70数名全員がレポートで「自衛隊派遣反対」と書いてきた。

理由は簡単である。
講師の私が反対論者であることを知ったからである。
もし私が賛成論を展開していれば、多くの学生たちは逆の意見を述べたにちがいない。
また、都内のある大学で、「左派(左翼)」と「右派(右翼)」を区別する基準は何か、と訊いたら、ひとりも手が挙がらない。

「それじゃ、東京都知事の石原慎太郎という人物は、一般的にどちらと言われているか」。
この問いに関しては、80名の受講生の半数以上が「左派」と答えたものである。
「自民党をぶっ壊す」「改革を止めるな」と言った小泉純一郎を「既成の秩序に対する変革者」と見なした心理と似ているのだろうか。

石原の発言の中身や思想的な立場は、彼に対する評価の基準とはなっていない。
日の丸掲揚・君が代斉唱不起立で300数十名の教師を処分した当事者であり、中国や韓国への差別的な発言者である石原の言動はまったく意識されていない。
メディアで流布された「印象」がすべてであり、政治的、社会的感性はツルツルとして引っかかりというものを感じさせない。

大方の学生たちの意識の漂白化は、大学へ来る頃までには、ほぼ終了しているようである。
いま進行しつつある「臣民化」への傾斜の責任を、テレビだけに押し付ける気は毛頭ない。
「テレビは私たちの欲望の鏡である」という命題も依然正しい。

テレビという「箱」に詰め込まれたものは、私たちの望んだものの変形された加工品であり、テレビ世界へ身を浸すことの心地よさを私たちは楽しんでもいるからだ。
不気味なのはテレビそのものより、「王様」に仕える「臣民」%A
(2008/02/12)