nonaka011.jpg【真珠湾に係留された戦艦ミズーリ】
(撮影:野中章弘)

この報告を受けたキャラハン艦長は、「生きているうちは敵でも、死んだら勇敢な兵士として弔ってあげたい」と最上の礼を尽くして遺体を扱うよう指示を出した。
このとき、水兵たちの間では、「なぜ憎い敵を弔うのか」と不平不満が渦巻いていたという。

キャラハン艦長自身、日本軍との戦闘で実兄を失っていたが、武人としての信念がそうさせたのだろうか。
翌日、水兵たちが徹夜で作った旭日旗に遺体を包み、厳粛な雰囲気の中で水葬が行われた。
米国海軍の伝統に従い、5発の弔銃で正式に弔った様子は、記録フィルムに収められている。

また、特攻機が体当たりする瞬間の写真も残っており、艦内に展示されていた。
戦後50年ほどたってから、この零戦について調べたところ、この特攻機は鹿児島県の鹿屋基地から飛び立ったもので、操縦桿を握っていたのは、石井兼吉二飛曹(千葉県出身)か、石野節雄二飛曹(岡山県出身)のどちらかであると推定された。

いずれも享年19歳――。
生への希望を断ち切り、自爆せざるを得なかった若者たちの心はあまりに切ない。
真珠湾攻撃で始まった無謀な戦争は、結局、日本人だけでも、310万人に及ぶ兵士と民間人を死に追いやった。
その無残な死の実態に触れたとき、特攻隊員であれ誰であれ、その死を美化する気には到底なれない。
彼らのような無念の死をふたたび繰り返さぬ努力をすることこそ、いまに生きる私たちの責任ではないか。
イスラーム諸国における「自爆テロ」との関連については、また稿を改めて考察したい。
~終わり~
沖縄戦の特攻兵(上)>>