4回目のアフリカ会議が終わった(2)/岩崎有一

iwasaki_080602_3.jpg【日本人はアフリカをひとくくりにしてはいないか】
(01年/セネガル/撮影:岩崎有一)

前回のTICAD以降、アフリカ諸国の参加者から、この会議の意義を再考する必要があるとの意見がきかれるようになった。議論を尽くすことも、問題を再認識、共有することも大切だが、話し合われたことをどのように活動に結び付けていくかを考えていかなければならないとの声だ。

話し合う場としてのTICADは成功しても、これだけ援助しますよと宣言されても、その先が見えてこない。元気なアフリカを目指してね! と言って肩をたたくのではなく、さてどうしようかと腕を組んで唸るのが仲間というものだろう。国連における53の票田として味方に付けたい想いはわかるが、それは一緒に唸る 仲になってからの話だ。

今回、TICADを共催する世銀からは支援の検証の仕組みを求められた。第1回会議から15年たった今、日本は理解者から共存者へと仲を深める時期に入ったように思える。既に共存を実行している日本人は少なくない。心強い先駆者に、もっともっと耳を傾けてほしい。

日本におけるアフリカへの関心の低さについて、TICAD議長を務める福田首相の力不足を挙げる記事が散見されたが、首相ひとりにその責をかぶせるのはちょっと酷な気がする。

テレビの番組欄に見られるタイトルは、前述の政府広報番組と大して変わらないものが多く、先入観や偏見を助長するような内容のバラエティ番組もしばしば見受けられる。伝える側に立ったひとりひとりが、共存者としてのアフリカの人々を地道に伝え続ける以外に関心を高める策はなく、低い関心の責は、伝える側すべての人が負うべきだろう。

アフリカは、ひとくくりにするにはあまりに広大すぎる。私自身あちこち訪れてきたつもりではいるものの、全体像を捉えようとしても、記憶の風景一つひとつで構成された、モザイク状のアフリカちぎり絵があるに過ぎない。アフリカを伝えていくということは、ちぎった和紙の一枚一枚を紹介しながら、少しずつ少しずつ精緻なちぎり絵にしていくようなことなのだろう。
開かれるなら、次のTICADは2013年。こちら側が試されているような気がしてきた。
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