生きる方法は脱出のみ [その2]
(文) リ・ドンハク [キルスの伯父・ファヨンの父]

道端で歌を売る 北朝鮮で学校に通っていたときは、アコーディオンを弾き、歌も上手でした。 あまりに食べていくのが苦しくて、歌や笑顔も売ったりしました。 ―キルス

道端で歌を売る
北朝鮮で学校に通っていたときは、アコーディオンを弾き、歌も上手でした。
あまりに食べていくのが苦しくて、歌や笑顔も売ったりしました。 ―キルス

 

子どもたちの失望は言うまでもない。
子どもたちが習っていたアコーディオンまで売ってしまっていたので、子どもたちに会わせる顔がなかった。今でもアコーディオンを見たり、道端でアコーディオンの音を聞くたびに、子どもたちには申しわけなかったという気持ちがこみ上げてくる。

1年が過ぎた98年の初め、また労務輸出ブームの風が吹き始めた。
企業所の数多くの従業員の中から、候補が数人しか選ばれないのだが、私が再び選抜された。「成分(身分)の良い人」だけが厳選されるのだが、何が原因で自分が選ばれたのかわからなかった。それでも再び選抜されたことはうれしかった。しかし一方では悩みがつのっていった。悩みとは他でもない費用を準備することであった。

北朝鮮の金で約4万ウォン、米ドルでは200ドルが必要であった。苦しいわが家の暮らし、一日一日の食をつないでいくのも大変なありさまでは、本当に大変な金額であった。

妻と子どもたちと家族全員で真剣に話し合った結果、もう一度対外労務(労務輸出)の道を選ぶことを決めた。利子の高い借金をするにせよ、兄弟たちに協力してもらうにせよ、手段を選ばずに金の問題を解決することにした。

故郷にいる母と兄弟を再び訪ね、懇願した。ピョンヤンをはじめとして遠くにいる兄弟にも応援を要請する手紙を長々と書いた。そしてようやく、前回と同じように書類作成と身体検査に臨んだ。

まず、道庁に向かい身体検査を再び受けた。
しかしどうしたことか、血圧が175-109(不合格)と出てしまったのだ。
いっしょに行った友人の中にはもともと高血圧をわずらっていたり、わずらっていなくても血圧が高いと心配している者もいた。中には血圧が230まで上がった友人もいた。

しかしその人たちは病院に何度か通いながら「正常」にしてもらっていた。
私はそれまで血圧のために苦労したことはなく、血圧を測ったときも一度も高いと言われたことはなかった。私はどうすることもできず、泣く泣く100ウォンを担当の医者にわたして、ようやく血圧の数値を合格線の90-135に直すことができた。

しかし、実際に私の血圧が高いのか低いのかについては、いまだにわからないままだ。対外進出という条件がつかないところで、静かに血圧を測ってみたらわかるかもしれないが。

医者たちにしても、そんなことでもしなければ食べていけないということも十分理解している。同じ組になった友人が視力検査のために眼科に行った。
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