生きる方法は脱出のみ [その4]
(文) リ・ドンハク [キルスの伯父・ファヨンの父]

トウモロコシをくすねる農民 集団農場では、収穫したトウモロコシを脱穀場に運ぶ途中、農民がくすねてしまうことが当たり前になっていました。 ―デハン(キルスの叔父)

トウモロコシをくすねる農民
集団農場では、収穫したトウモロコシを脱穀場に運ぶ途中、農民がくすねてしまうことが当たり前になっていました。 ―デハン(キルスの叔父)

 

私の子どもたちは野草を摘んでくるだけでなく、季節によっては果物、野菜、穀物粒など、とにかく目についたものは何でも拾ってきた。またはじめのうちは落穂拾いだけだったが、拾うものがなくなったのか、農場で管理する農作物を盗んできたりもした。
私は子どもたちに、「拾ってくる物が少なくても、盗みだけはダメだ。泥棒で生きていくなんてできるか」

そう言うと、子どもたちは二度と盗みはしないと答えた。
ある日の夕方、仕事から家に帰ってくると子どもたちが騒いでいた。果樹園に忍び込んでりんごを盗って出てきたところ、果樹園の一番高い所で見下ろしていた警備員につかまってしまったと言う。その警備兵は「どこの学校に通っているんだ。家はどこだ。親は何をしているのか」としつこく問いただしたと言うのである。そして叱りもせずに、りんごを袋に入れて自分の知人の家に持っていくようにと言ったという。

私は子どもたちの話を聞いて、農作物を盗んではいけないと諭した。それはとても悪いことだと叱りつけた。父の話し方が威圧的だったせいか、子どもたちはじっと聞いていた。しかし、突然長男が口を開いて言った。

「父さん。農場の幹部も、農場員たちも、みな盗みをやってるんですよ。あの人たちも夜になると、牛に引かせて自分の家に持って帰るんです。それで、仲のよい人たちとで分けて食べてるんです。果物でもトウモロコシでも野菜でも、自分たちの手にあるものは、上に報告する前にちょろまかして、自分の欲を満たしてるんです。

一部は家で食べて、一部はジャンマダン(闇市場)に売りに出しています。学校の友達の家に遊びに行った時、ぼくは自分の目で直接見たし、その子もぼくにそう言いました」
「昼は社会主義をやり、夜は資本主義をやる」という意味である。じっと聞いていた長女と末っ子も、あれやこれやと同調する。父である私に、世間の実際の動きを納得させようというのだ。

私がそんなことも知らないはずがあろうか? 以前から、どこの工場、農場でも、生産した物や原料、資材を、いろいろなやり方でくすねていた。幹部たちは幹部たちの方法で、労働者や農民も、それなりのくすねる方法で。私もそれを知らないわけではなく、子どもたちの言い分にも、ハハハ、と笑ってごまかすしかなかった。

一度、長男が顔から血を流して帰ってきたことがあった。
事情を聞いてみると、トウモロコシ農場に友達といっしょに忍びこんだところ、警備員が投げつけた石に当たったという。目のすぐ上が切れて血が噴き出し、手で押さえながら帰ってきたのである。

私がなぐさめようとすると、逆に、長男が私を安心させようとした。この次には、警備員が近づいて来られないように、石を投げつけてやると言うのだ。警備員一人くらいだったら、いくらでも相手にできると言うのである。
そんなことをして警備員が銃でも使ったらどうする? ときくと、「トウモロコシを何本か盗んだといって銃まで撃ちますか? 農業がうまくいってもいかなくても、配給なんてもらえないのに......。

こんなことをしてでも食って生きていくことが大事ではありませんか。幹部たちや物持ちの連中は、みんな国家のものを自分の物のようにかすめ盗って暮らしています。ぼくたちは、そんなことはできないけれども、生きていかなければなりません。

あいつらは、食糧を蓄えておきながらでも暮らしていけますが、ぼくたちといえば、明日炊くお米すらありませんよ。お米を買うだけのお金がありますか?」

子どもたちの言い分が正しいと「支持」しなくてはならないのか、あるいは、間違っていると盗みを「阻止」しなくてはいけないのか、私にもわからなかった。だが、明日食べる米がない、というのは事実である。(つづく)
--------------------------------------------
(文) リ・ドンハク [キルスの伯父・ファヨンの父]
48歳。咸鏡北道花台郡出身。労働党員であったが1999年1月に北朝鮮脱出北朝鮮では製錬所、建設企業所の、副職場長などを務めた。
--------------------------------------------

<<<連載・第22回   記事一覧   連載・第24回>>>

おすすめ<北朝鮮> 写真特集・無料動画… 

★新着記事