在日ミャンマー人ボランティアグループが宮城県石巻市鹿妻地区でミャンマー料理の炊き出しをおこなった。同地区には、津波で半壊した自宅に残っている被災者が多い。500人分の料理がすぐになくなった。ミャンマー人ボランティアたちは、炊き出しのほか、津波で家々に入り込んだ泥をかき出す作業もおこなった。(撮影:岸田浩和)

 

日本に暮らすミャンマー(ビルマ)人のボランティアグループが1日、被災した宮城県石巻市を訪れ、炊き出しと清掃作業をおこなった。
訪れたのは、日本で難民として暮らすミャンマー人94人。グループのうち15人は、石巻市鹿妻地区でミャンマー風チキンカレーや春雨スープなど500人分を調理し、被災者にふるまった。同地区は、津波で大きな被害を受けた。電気も水道も復旧していないが、半壊した自宅で暮らす被災者が多い。炊き出しには長い列ができ、被災者は「遠くからはるばる来てくれて、ありがたい」と話していた。

炊き出しのミャンマー料理は、日本人にも喜んでもらえるように辛さを控えめにするなど配慮した。(撮影:岸田浩和)

 

一方で、残りの79人は小グループに分かれ、石巻市や隣の多賀城市で被災した家々に残る泥をかきだすなどの作業をおこなった。女性8人も泥かきに汗を流した。
マイチョーウーさん(44)は4月9日に岩手県陸前高田市を訪れて以来、被災地に入るのは2回目。
「今回は炊き出しだけでなく、清掃ボランティアもおこなうことができました。参加希望者が多く、30人くらいは参加できませんでした。困っている人たちがいたら助けなければならないと思うのは、私たちミャンマー人の文化なのかもしれません」

津波で被災した石巻市内の住宅街。いまも残るがれきのそばで遊ぶ子供たち。(撮影:岸田浩和)

 

ボランティア参加者の多くは、日本で難民として暮らす一方、民主化を求めて、本国ミャンマー政府に対する抗議活動を続けている。しかし、地震が発生した3月11日以来、ミャンマー大使館前などで連日おこなっていたデモ活動を休止している。デモをおこなうことで、日本の警察などに負担をかけたくないという思いからだ。

石巻港近くの海産物加工場は破壊され、辺りには強烈な悪臭がたちこめていた。カモメの群れの鳴き声が響き渡る。(撮影:赤津陽治)

 

この間、ミャンマーでは、軍事政権主導で進められてきた民主化ロードマップの最終段階として新政府に権力が移譲された。しかし、新政府も元軍人が要職を占め、「軍人が軍服を脱いだだけ」といわれる。約2000人にのぼる政治囚も解放されておらず、停戦していた少数民族武装勢力との間では戦闘が再燃している。
30以上ある在日ミャンマー人の政治団体のなかで、マイチョーウーさんはリーダー的存在だ。
「本来ならばデモ活動を活発化させるべき時でした。しかし、優先して取り組んだ震災ボランティアを通して、バラバラになりがちだった私たち在日ミャンマー人は、より結束力を高めることができたと思います」
東京でのデモ活動は、今月下旬から再開する予定だ。ミャンマーの旧正月を祝う「水かけ祭」も震災で自粛していたが、例年より1カ月遅れの今月15日、東京の日比谷公園で開催される。【赤津陽治】

石巻市立門脇小学校周辺では、焼け焦げたがれきの山が積み上げられていた。(撮影:赤津陽治)

石巻市の牡鹿半島。集落そのものが消え去ったような場所もあった。遮るものがなくなり、海からの強い風が吹きつけ、地面の砂がしばしば舞い上がった。(撮影:赤津陽治)