農場で働く農場員。北朝鮮では多くの場合、親が農場員なら子どもも農場員にならなければならない。2010年5月 金東哲(キム・ドンチョル)撮影

 

張さんの嘆き
黄海道といえば、平安道と並び朝鮮有数の穀倉地帯である。首都平壌に「首都米」名目で多くの穀物を納める「立派な」役割を長年果たし、農民の間では「平壌を食べさせている」という自負も相当なものだった。コメに加え、西海では海産物も豊富に獲れるため、住民は平壌市民よりもいい物を食べていると言われたものだが、それも遠い昔の話になってしまったようだ。今回の農村訪問は衝撃的だった。前回訪れたほんの数年前と比べ、なぜこうもひどくなってしまったのだろうか。

私が泊まったその日、○○里には一分たりとも電気の供給が無かった。私が持ち込んだ豚肉で作ったスープを旨そうに飲んで一息ついた張さんは、こう語るのだった。
「春になったらもう一度来て見るといいよ。むくんだ顔の子どもたちがたくさんいるから。ミナリ(セリ)、ネンイ(ナズナ)、アブラナ・・・腹を空かせた子どもたちは生えてる草なら何でも食べてしまうから、当たる場合があるんだ。特に花が咲く前のアブラナを食べると顔がこう、ぷーっとむくんでしまうんだ」。

張さんによると、電気は昨年末からもうずっと来ていないという。当然、テレビもつかないため、金正日死去を伝えるニュースも見ていないとのことだった。だから全国的に必ず見るようにと指示があった金正日の葬儀の様子も、人々を集めて、バッテリーをつないだテレビ一台を囲んで、やっと見たそうだ。その際に、人々は控えめながら、後継者である金正恩に対する想いを表したという。

「テレビを見ていた農場員の口からは『若いから何かしらの変化があるだろう』『生活はきっと良くなるだろう』という声が出ていたよ。『三年間は喪に服し、その後、自分が指導者の地位に着いて、人民のためにやるべきことをやる。それまでの間には何もしない』という、当時広まっていた「後継者のお言葉」とされる噂を持ち出して、未来はきっと良くなると、何とか信じようとしている人たちもいた。

しかし、俺が思うに、生活は良くなるどころか、今年は大根の葉っぱを食べられるかどうかも怪しいもんだ。それなのに何が強盛大国だ。昔はそれでも集まれば農民同士で歌や踊りなどを一緒に楽しんだし、たまには論争も、ケンカもした。それが将軍様を追悼しなければならない雰囲気と、後継者のやり方を息を呑んで見守る緊張の中で変わってしまった。お互いがお互いの顔色ばかりう窺って、集まったところで気が晴れない」。
張さんはこう嘆くのだった。(つづく)
(整理 リ・ジンス)

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注2 作業班長
協同農場に数班配置される、「作業班」の責任者。作業班には野菜班、畜産班、農機械班などがある。集団農業制の下、実際に農作業に当たる最小単位のグループを「分組(通常25人ほどで組織)」がいくつか集まると「作業班」になる。
注3 分配
協同農場の生産分の中から規定分を国家に収めた後、一年の働きに対して農民に配られる取り分。秋の収穫期に配られるのが一般的。現物と現金が支給されることになっているが、作物の種類や土地の質によって異なり一定でない。
注4 鍛錬隊(労働鍛錬隊)
短期の強制労働キャンプで警察の権限で裁判なしで拘留できる。収容期間は最長6か月とされるが、1年を超える場合もある。職場からの無断離脱、服装や頭髪が「非社会主義的」だとされ者、脱北未遂など、社会秩序を乱したとされる者が収容される。
注5 個人の畑
自宅の庭や、山の斜面を無断で開墾した不法耕作地などを指す。獲れた作物は個人のものになるため、農民にとっては重要な食糧であり、売って現金を得る収入源でもある。

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