当然空腹に耐えられない兵士たちは非行を始める。兵士による窃盗、強盗、暴力事件が頻発、脱走兵が絶えないというのは、九〇年代以降、やはり北朝鮮社会の常識と化している。それに伴い、一般庶民にとって軍隊は、警戒、恐怖の対象になってしまった。軍隊を「土匪」「強盗」「共産軍ども」(注1)と揶揄することが、今や当たり前になってしまっている。

「軍隊が盗みを働いても、保安署(警察)や保衛部(情報機関)、党では関与できない。取り締まれるのは警務(憲兵)だけ。『先軍政治』になって軍の権勢が強くなってより酷くなった。誰も手が出せない」。
リ・サンボン氏はこう述べる。食糧難は軍組織の規律低下、軍民関係の悪化を招いた。

筆者も北朝鮮の兵士の衰弱ぶりを目の当たりにしてショックを受けたことがある。九三年七月に吉林省の長白県から鴨緑江を遡るようにして朝中国境の最高峰白頭山(ペクトゥサン)に登った時のことだ。チャーターしたジープは、鴨緑江の源流地帯を過ぎて朝中国境が陸続きとなると、中国領から北朝鮮領に大きく入り込んで頂上に至った。そこには北朝鮮軍の詰め所があって、二人の若い兵士がわれわれのジープを見つけてやってきた。二人は痩せて顔色も良くない。その上、なぜだか歯が緑色に変色していた。

「一緒に昼食を食べようじゃないか」
と、兵士の一人が言った。白頭山の頂上には売店も何もないので、パンやソーセージ、ビールなどの食料をかなり積み込んでいた。北朝鮮兵と一緒に食事をするなんてなかなかない機会だ。筆者は嬉しくなり、ジープからパンを取ってきて、
「さあ、一緒に食べましょう」
と言った瞬間、兵士の一人が筆者からパンの包みを奪い取って破り、目の前でかぶりいついたのである。あっけにとられた筆者に対し、彼はパンを貪りながら、もう一方の手を差し出し、
「他にも食い物があれば、ください」
と、言ったのである。
ジープに同乗してきた中国の国境警備隊員(朝鮮族だった)が、
「いいかげんにしろ」
と怒鳴ると、二人の兵士は黙々とパンを頬張りながら詰め所に帰っていた。

北朝鮮政府が、大洪水によって田畑が流されて食糧生産に打撃を受けたとして、国際社会に初めて支援を要請したのは、筆者のこの体験の二年後の九五年のことであった。それ以前から、朝鮮人民軍の食糧事情が相当悪化していたのは間違いないだろう。
(この項つづく)

注1 共産軍:朝鮮戦争の最中、侵攻してきた北朝鮮軍による暴力と略奪は韓国の人々にとって大変な恐怖だった。「共産軍」が憎悪と恐怖の対象として韓国で記憶されていることが転じて、なぜか今の北朝鮮で、狼藉を働く自国軍を「共産軍」と蔑んで呼ぶようになっている。

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