市場(ジャンマダン)の開場を待ちながら、携帯電話で通話する女性。富裕層の子弟たちのあいだでは、携帯電話は高い人気があるという。(2010年6月平壌市中区 ク・グァンホ撮影)

市場(ジャンマダン)の開場を待ちながら、携帯電話で通話する女性。富裕層の子弟たちのあいだでは、携帯電話は高い人気があるという。(2010年6月平壌市中区 ク・グァンホ撮影)

 

III デジタル・ITで北朝鮮社会は変わるか

石丸次郎

あらためて言及するまでもないことだが、一一年、チュニジア、エジプト、リビアなど中東の強権国家で政権を短期間に転覆させたいわゆる「アラブの 春」で、民衆の糾合において重要なメディアの役割を果たしたのは、インターネットと携帯電話であった。秘密警察が人々の行動を監視し、自由な言論空間が狭 く、反体制行動に対しては厳しい弾圧で臨むという点では、中東のこれらの国家も北朝鮮と共通点が多い。それでは、北朝鮮でも将来、ここまで見てきたような デジタル・IT機器の普及が、社会変革をもたらす可能性はあるだろうか? 本記事のまとめとして考えてみたい。

続く外部情報の流入

外部からの情報は、少しずつではあるが確実に北朝鮮社会に染み入ってきた。九〇年代後半、「苦難の行軍」(経済破綻と食糧危機)によって膨大な数の 脱北難民が中国に逃れてきた。この時期に庶民が持っていた情報水準と、現在のそれとでは雲泥の差がある。当時、韓国社会を、アメリカ帝国主義の植民地とし て搾取され、民衆は貧困に喘ぎ、街には空き缶を持って物乞いをする人が溢れているという当局の宣伝を信じきっている人がいかに多かったか。

一五年経った現 在、韓国が先進国並みの暮らしをしていることや、同じ社会主義を標榜する中国が改革開放政策で豊かに暮らしていることは中学生でも知る常識になった。都市 部の若者の多くは韓流ドラマの人気俳優の名前や流行歌をよく知っている。

極秘に付されてきた故金正日総書記一家についても知る人が増えた。例えば金総書記 の長男は正男(ジョンナム)氏で中国に居住しており、母親は女優の成恵琳(ソン・ヘリム)氏であること、正恩氏が三男であることなどは、最近の越境者で 知っている人が少なくない。

「中国に行ったこともない知り合いが、フジモトケンジ(藤本健二)という金正日の専属料理人がいて日本に逃げたらしい、と教えてくれたんでびっくりした」
とはキム・ドンチョル記者の言葉だ。

北朝鮮の人々が外部情報に接触する主なメディアは、中国から送還された脱北者たちの口伝え、韓国のラジオ、テレビ、そして韓国ドラマや映画を爆発的に流行させたVCD(ビデオCD、こちらのリンク先[] に詳しい報告がある)、それから米国で運営されている自由アジア放送(RFA、短波)、米国の声放送(VOA、中波)、中国延辺の朝鮮語放送などだ。

日本 語を解する在日帰国者などは日本のラジオをひっそり聴いている。ラジオは登録制でチューナーを固定封印されるが、闇で購入したラジオでこっそりを聞く人が 増えた。韓国のテレビ放送は、どういうわけか、咸鏡南道の咸興(ハムン)近辺でよく見えるという。

韓国から距離もあり、なぜ見えるのかわからない。また、 最近では、中国製の小型ポータブルテレビが人気で、黄海南道などの韓国と近い地域では韓国のテレビ放送がよく見えるということだ。密かに北朝鮮に搬入され た中国キャリアの携帯電話による地下通話も外部情報流入のメディアとなっている。
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