お菓子を食べている羅津(ラジン)市模範託児所の子供たち 1998年3月 石丸次郎撮影

お菓子を食べている羅津(ラジン)市模範託児所の子供たち 1998年3月 石丸次郎撮影

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第13回 幼稚園時代
◇ 園庭の思い出
6歳のとき、私は、私や祖父母が住んでいるアパートなど、8棟のアパートに囲まれるようにして位置している幼稚園に通うことになりました。
幼稚園は2階建ての建物で、園児たちが遊ぶには十分な広さの園庭には、ブランコや鉄棒などの遊具が揃っていて、私や近所の子供たちは、卒園後もその園庭でよく遊びました。

幼稚園は1メートルを少し越えるくらいの低い垣根で囲まれていて、門は一つしかありませんでした。その門は、私が住んでいたアパートの近くにありましたが、祖父母の家に行くには、幼稚園の垣根をぐるりと回って行かなければなりませんでした。しかし、私は、歩いて2分もかからない回り道を横切ろうと、祖父母のアパートの方向にある、垣根の片隅が少し崩れてできた隙間を越えたりしていました。

私だけでなく、子供たちみんなが、向こうのアパートに行くときは園庭を横切ってその隙間から通っていました。しまいには大人たちもその隙間を利用するようになり、もはや一つの道のようになってしまったのです。そのような行動を制止したり、隙間を埋めて垣根を立て直したりしていた幼稚園側もお手上げ状態。結局、幼稚園の垣根の片隅はずっと崩れたままでした。

幼稚園は、下の班と上の班が1年ずつの2年制でした。本来なら私も下の班を経て上の班に上がるべきですが、当時上の班に通っていた、私より1年くらい年上の従兄について、いきなり上の班から始めることになったのです。当時体が小さくて、とても内向的な性格であった私のことが心配で、祖母と両親が幼稚園側にお願いしたようでした。。私は、上の班だけを2回通うことになったのです。

最初の一年は、ひたすら従兄について回っているうちに終わっていました。従兄の卒園後は、下の班から上がってきた、私と同じ年の子供たちと一緒に、もう一度上の班に通うことになりました。隣のアパートに住んでいたジョンヒ(女の子)、少し離れた住宅街に住んでいたチョル(男の子)は、そのときから、小学校、そして中学校を転校するまで一緒に進学することになり、ジョンヒは私の大親友に、チョルともとても仲良しになりました。

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