赤いスカーフが少年団の証。咸鏡北道の中学校の少年団幹部を対象としたキャンプにて。2006年7月 撮影:李準(リ・ジュン)

赤いスカーフが少年団の証。咸鏡北道の中学校の少年団幹部を対象としたキャンプにて。2006年7月 撮影:李準(リ・ジュン)

「私、北朝鮮から来ました」記事一覧

第14回 「模範学生」だった人民学校時代(1)
○人民学校に入学

人民学校は、日本で言う小学校にあたります。子供たちは、それぞれ住んでいる洞(行政単位の一つ。市→洞→班)で定められている学校に4年間通うことになるのですが、複数の洞に一つずつ、人民学校と高等中学校(6年制)がありました。エリートが通う第1高等中学校など特殊な学校は、市内に1校しかありませんでした。

人民学校に入学した子供たちには、4年間の間に、大体の進路が決まるチャンスが何度か訪れます。芸能やスポーツ部門の関係者が学校を回って行う選抜に選ばれたり、勉強ができて、人民学校を卒業する際に試験を受けて第1高等中学校のようなエリート校に進学したり、というようなチャンスです。それ以外のそのようなチャンスを手にできないほとんどの子供たちは一般高等中学校に進学することになるのでした。

当時は、学校もたくさんあり、生徒の数も多かったと思います。私が通っていたH人民学校は、学年ごとに4~5クラスあり、一つのクラスには40人くらいの生徒がいました。半分くらいが男子生徒の男女共学でした。

9月1日には入学式が行われました。人民学校の入学式が行われる前日、うれしくて眠れないほど興奮していたのを今でも覚えています。入学式当日には、真っ白なシャツに青色のプリーツスカートの制服に、頭には赤くて大きいリボンをつけ、新しい赤いランドセルを背負い式に臨みました。

私と同じく興奮してソワソワしていた新入生たちは、入学式に来た保護者たちに手を振ったり、お互い手を握ってピョンピョン飛び跳ねたりと、落ち着かない様子でした。

私は背が低く体も小さくて、クラスでは、列の前から3番目に立つことになりました。先生たちに誘導され、列に並んだ私たちは、先生から入学式の進行と注意点について説明を受け、何度かリハーサルをします。入学式は、校長先生、新入生の担任代表、上級生代表、新入生代表などのスピーチがあり、決められた流れにそって行われます。式が終わると、今度は教室に入って担任の先生との対面です。

このときから、私をはじめ生徒たちは、決まっている数々のルールに従い、乱れを許さない一斉行動に縛られることになるのです。
私は、1学年2班に所属することになりました。親友のジョンヒやチョルも、そして近所の友達も、同じ班に入ることになりました。クラスの統制役である「学級長」には、チョル君が選ばれました。

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