東日本大震災の発生から2年8カ月が過ぎた。だが、東京電力福島第一原発から20キロ圏内の福島県富岡町では今も全町避難が続いている。いつ帰郷できるのか、もう戻れないのではないか――。放射能汚染のために、1万6000人あまりの町民たちは未だに生活再建の一歩を踏み出せないでいる。富岡町から郡山市に避難し、福島第一原発の収束作業に携わってきた小川篤さん(45)の一時帰宅に同行させてもらった。(矢野 宏・新聞うずみ火)

◆原発作業員の一時帰宅に同行
プロ野球・日本シリーズで楽天イーグルスが仙台で優勝を決めた日の翌朝、いわき市内で待ち合わせ、小川さんが運転する車で国道6号を北上した。
「今日は休日ですから道路は空いていますが、平日ですと、朝5時過ぎには原発や除染作業へ向かう労働者の車で渋滞しています。事故前までは(原発に向かう)下りは混むこともなかったのですがねえ」と小川さんは説明したあと、こう言い添えた。 「異様だと思っていたことが、3年近く過ぎると当たり前のようになって何も感じなくなってしまいました」

小川さんは東京都生まれ。幼いときに父親の転勤で富岡町へ移り住んだ。18歳から21歳まで、福島第一原発で働いたこともある。 その後、営業職に転身し、震災前までコンサルティング業を手広く営んでいたが、原発事故ですべて失う。今でも自宅に戻れず、母親と郡山市内で避難生活を送っている。
震災後、避難場所を回ってボランティア活動を行う傍ら、2011年12月1日から4カ月間、福島第一原発の敷地内に入って収束作業に携わった。「福島のために何かしなければ」という切実な思いからだった。

この時の日当は、危険手当も含めて1万8000円。作業に入る前に「危険手当を受ける限りにおいて、後から異議申し立てをしない」という契約書にサインさせられている。原発敷地内には、被ばく線量が毎時200ミリシーベルトを超えるホットスポットが点在しており、駐車場でも毎時60ミリシーベルト、免震重要棟内の休憩室でも0.05ミリシーベルトもあったという。

作業は、原子炉冷却で発生した汚染水をためるタンクから汚染などを排出する配管の敷設。白い防護服を着て全面マスクを装着しての掘削作業はわずか1分間で息が切れ、そのまま続けると呼吸困難に陥ったという。
しかも、地中に敷設した配管からは大量の放射性物質が放出している。地面に厚さ10センチの鉄板を敷いても毎時1ミリシーベルトという高い線量を計測したという。

事故直後、原発作業員の年間被ばく線量が100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げられたが、11年末に100ミリシーベルトに戻された。熟練工を長く確保しておくため、防護服の胸の部分に入れている線量計に鉛のカバーをつけて被ばく線量を上げないように偽装した業者や、月1回の健康診断を3カ月に1回に減らした業者も少なくない。
小川さん自身も4カ月間の就労で、鼻血が止まらなかったり、全身の倦怠感を覚えたり、視力の低下などに悩まされたという。