赤いスカーフが少年団の証。咸鏡北道の中学校の少年団幹部を対象としたキャンプにて。2006年7月 撮影:李準(リ・ジュン)

赤いスカーフが少年団の証。咸鏡北道の中学校の少年団幹部を対象としたキャンプにて。2006年7月 撮影:李準(リ・ジュン)

 

◇ 一番楽しい休み時間!
私は、クラスで思想担当副委員長をしていました。思想担当という偉そうな名前はついていますが、実を言うと、何の力もない微妙なポジションでした。成績では負けないのですが、保護者の私に対する関心の低さも影響し、分団委員長の席は与えられず、だからといって分団委員にするにはかわいそうという担任の先生の配慮だったのでしょう。

当時、すでに我が家は、外から見れば、帰国者とは思えないほど現地の生活にとけ込んでいました。また、家族の誰一人、私の学校生活に関心を持ってくれる大人もいませんでした。そういうことを考えれば、思想担当副委員長というポジションも私にはありがたいものだったのです(結局、高等中学校に上がってからは、学習委員に降格しましたが)。

思想担当副委員長がやっていることと言えば、毎朝学校に来てからまず、金父子の肖像画にホコリが溜まっていないかを確認することでした。そして、授業が始まる前の10分間、本の朗読を行うことでした。金日成主席のお言葉など、本は私が自由に選ぶことができ、朗読も自分でやるか、誰かに任せるかも自由に決めることができました。

そして、週に一度行われる生活総和や総会などで、クラス内の思想、精神状態などについて報告、批判したり、新しい方針を伝達したりするのも私の仕事でした。毎回の報告はほぼ同じ内容で、決まりきった文句を並べるだけでした。もちろん、誰かの思想がどうこうと批判したり、監視したりするようなことはしていませんし、わりと無難に与えられた仕事をこなしていました。小さい頃から私たちは、そのような形式主義に慣れていて、誰も本気にする子供はいませんでした。

形式だけの朗読が終わると、授業が始まります。無料でもらえる教科書もそうですが、ノートや文房具などが大変不足していて、またその質も非常に悪いものでした。教科書は先輩たちが使っていたお下がりをボロボロになるまで使い、ノートや文房具も、少ないものをとても大事に使っていました。豊かでない環境でも、私たちは熱心に勉強し、将来の夢を育んでいました。

授業と授業の間にある休憩時間10分は、私たちにとって絶好のおしゃべりチャンスでした。普段仲良しの子供たちが集まっては、昨日あったことや噂話、気になる男の子の話で盛り上がるのでした。宿題をしてきていないときは、その10分間に宿題を済ませたり、自分で作っている名言集や血液型占いなどを見せ合ったり、読んでいる本を友達に回したり...その短い時間に外に出てゴム飛び遊びに夢中になるときもあって、とにかく大忙しだったのです。

次の授業が始まるチャイムが鳴っても、先生が入ってくるぎりぎりまで遊んでいるのが普通でした。運が悪いときは、授業が始まってから教室に入ると、先生から罰を受けて、ずっと立ったまま授業を受けることも...。毎日一緒にいる友達と、毎日同じことをやっているのに、よくも飽きずにあれほど楽しかったのだろうかと、振り返って思わず笑みが浮かぶ自分がいます。

著者紹介
リ・ハナ:北朝鮮・新義州市生まれ。両親は日本からの「帰国事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人2世。中国に脱出後、2005年日本に。働きながら、高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格し、2009年、関西学院大学に入学、2013年春、卒業。現在関西で働く。今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。
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