今年1月刊行の手記「日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩」は多くのメデイアに取り上げられた。

第18回 転落の始まり―高等中学校時代(2)
◇ プレッシャーに負け、不登校に

「一体どうやって医者になれと言うのか。『父の職業を継いで』という祖母や父の言葉は、ただの希望に過ぎなかったのか。私は、外国語学院(もう一つの特別教育を行なう学校で、外国語や芸術分野の人材を育成する学校)に行きたかったのに、ポムハルモニ(トラおばあさん―私の祖母)に怒られ話にもならなかったし。
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第一高等中学校に行けと言いながら、何のサポートもしてくれない両親や祖母が恨めしい。受かったら良いが、落ちても別に損はなしという、運任せな大人たちの態度が憎い。でも、こんなことを口に出したら、私は祖母や父に許されないだろう...。とりあえず、ダメモトで受けるだけ受けてみよう...」。これが、私の本音でした。

考えてみれば、そのときからすでに私の心は折れていました。なんとなく勉強してなんとなく受験してみたけれど、結果はやはり不合格(従兄は合格)でした。やはり私の実力不足が一番の原因だったにもかかわらず、私は自分の間違いは棚に上げて、両親や祖母を恨んでばかりいました。
結局、私は一般高等中学校であるH高等中学校に進学することになりました。それまで通っていたH人民学校とは隣り合わせに建つ学校でした。人民学校で同じクラスだった同級生たちのほとんどが、中学校でも同じクラスになりました。

私は、もう勉強が嫌になり、気持ちは冷めていきました。高等中学校に入ってからはろくに勉強もせず、遊んでばかりで宿題もきちんとしないまでに「転落」していきました。幸い、人民学校時代の名残もあって、なんとかクラスで上位にとどまる現状維持はできましたが、自分は思ったほど頭が良くないということに、徐々に気づき始めました。そして、そのことが周りに知られるのが怖くなっていきました。勉強はしたくないのに体面は守りたいという、情けない葛藤の日々が、私を苦しめていました。

そんな中で高等中学校3年生を迎えた私は、学校や周りから、第一高等中学校転入のための試験(高等中学校3年生のときに転入試験がありました)を受けたらという、周りからの空気を感じ始めました。
もう無理だと言うのに、勉強なんかとっくに投げ出したのに...。もし今回落ちたら、本当にこの学校に通う面目がなくなるかもしれないという不安に押しつぶされそうになりました。別に誰が何か言ったわけでもないのに、私は、自分が与えたプレッシャーに負けて苦しんでいました。ずっと患っていた偏頭痛もひどくなり、どんどんやつれていきました。

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