(参考写真)黄海北道のある農村。冬には窓枠にビニールを貼ってすきま風を防ぐ。2007年10月 李準(リ・ジュン)撮影

(参考写真)黄海北道のある農村。冬には窓枠にビニールを貼ってすきま風を防ぐ。2007年10月 李準(リ・ジュン)撮影

「私、北朝鮮から来ました」記事一覧

第19回 農村への追放宣告と流浪の日々
○母からの宣告
ある日、私と弟は、話があると母に呼ばれました。それまで見たことのない暗い顔をして、母は私たちに言いました。
「大変なことになったんだ。事情があって、お母さんは農村に強制追放されることになってしまった。住民登録(戸籍)がすでに移されてしまったのよ。あなたたちの戸籍も...」

一瞬、母が何を言っているのか、私には理解できませんでした。追放?住民登録?それって何?...聞き返したかったのですが、できませんでした。
私の母も、小さい頃に家族とともに北朝鮮に帰国した「帰国者」です。北朝鮮で師範大学を卒業して体育の先生も経験した母は、まさに体育会系の人で、私にとって父に負けないくらい怖い存在でした。母は私たちに長話をしたことがなく、必要がないと思ったことは教えてくれないし、もちろん聞くのも許さない人でした。母というよりは、怖い先生という感じで、もしも母に逆らうようなことがあったときは、容赦なく鞭で打たれました。

そのときの母の怒りに震える顔を見ると、とても訳を聞き返す勇気が出ませんでした。ただ、今の状況がとても深刻であることは伝わりました。
母は言いました。

「いいか。よく聞くんだ。私は何も悪いことをしていないのよ。親戚が罪を犯したからといって、私までその被害に遭ったのよ。強制追放なんてあり得ない。なんで何の罪もないあなたたちまで農村に追放されなきゃいけないのよ。悔しい!」
まだ十分理解はできませんでしたが、なんとなく母の話がわかってきました。要するに「連座制」っていうものでしょ?それに私たちが運悪く引っかかったということなのね...って誰が?なんで?私の頭の中はハテナで大混乱してしまいました。母はそれ以上何も言ってくれなかったので、私は、自分なりの解釈をしてみました。

北朝鮮では、罪を犯すと、当の本人だけでなく、その親族までもが処罰を受ける「連座制」というものがいまだに存在していました。私の母もその対象になり、都市から農村へと強制追放されるという処罰を受けたわけです。都市にあった母の住民登録はすでに農村に移され、母の住民登録に登録されていた未成年の私と弟も、一緒に農村に移されてしまったというわけです。

移動の自由が厳しく制限されていた北朝鮮では、住民登録(戸籍)も都市部と農村で分けられ、よほどのことがない限り、戸籍を移すことはできませんでした。特に農村の人たちは、都市部の人と結婚するといった特殊な事情がない限り、都市部の戸籍を持つことはできません。農村の人は、農場員として農作業に従事しながら、自分も、その子孫も一生農村で暮らすことになるのです。

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