父は沖縄で戦死したということしか知らなかったのです。京都府庁へ出向き、詳しく調べていただいた結果、父が戦死した具体的な地名がわかり ました。浦添市澤岻(たくし)――。うずみ火新聞7月号の手紙欄に掲載された「亡くなった父を沖縄に訪ねて」に大津市の片山美津子さん(73)はこう綴っ ていた。片山さんは気持ちを抑えることができず、この5月に沖縄へ行き、戦後69年たって父が眠っている近くまでたどりつくことができたという。彼女に話 を聞いた。(矢野 宏・新聞うずみ火)

沖縄で戦死した父の軌跡を訪ねた片山美津子さん。(撮影:矢野宏)

沖縄で戦死した父の軌跡を訪ねた片山美津子さん。(撮影:矢野宏)

◇2歳のときに別れて...戦後69年

「父が戦死したという沖縄県浦添市澤岻(たくし)は浦添市に入ってすぐの小さな丘で、今は住宅街でした。タクシーの運転手さんの話では、当時は宜野 湾市の嘉数(かかず)の丘と同じく大砲の基地だったそうです。その嘉数高台から普天間基地を見下ろし、ずらりと並ぶオスプレイを見たとき、何とも言えない 怒りがわいてきました」

片山さんの父、北林宗次郎さんは1911年、京都市伏見区で、5人きょうだいの長男として生まれた。29歳の時に安子さんと結婚し、2年後の41年4月には片山さんが誕生。翌42年秋に出征したあと、「沖縄で戦死した」と聞かされてきた。

だが、どこで亡くなったのか、所属部隊すらわからないまま、70年近い歳月が流れていた。

父の戦死した場所を知るきっかけとなったのは、片山さんが自らの戦争体験を投稿したこと。掲載は見送られたが、編集部から「部隊名などがわからない場合は都道府県庁へ行って軍歴票をもらってください」という一文が添えられていた。

片山さんは京都府庁を訪ね、後日、健康福祉部福祉・援護課から「兵籍簿」のコピーを受け取った。そこには所属部隊名と死亡場所、兵歴などが記されていた。

兵籍簿によると、宗次郎さんは臨時召集により陸軍の野砲兵第53連隊に所属。43年2月には独立混成第4旅団砲兵隊の補充交代要員として山口・下関港から船で中国北部の山西省太原(たいげん)市へ向かう。

片山さんの手元には親子3人の写真が一枚だけ残っている。写真の裏書を見ると、中国へ渡る前に撮影したもので、宗次郎さんも同じ写真を持っていた可能性が高いという。

「いわば母の形見で、祖母から受け取りました。私が2歳になる前で、母のお腹には妹がいました。父は妹の顔を見ていないことになります」
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