原子力の安全性に警告を発してきた京都大学原子炉実験所元助教授の海老澤徹さんが11月29日、大阪市中央区のドーンセンターで「原発事故の現状と今後」 と題して講演した。うずみ火が夏から続けてきた「熊取六人衆」連続講座の最終回。海老澤さんが夏に入院したため、日程を延期して実現した。講演要旨を2回 に分けてお届けする。(新聞うずみ火/鈴木祐太・栗原佳子・矢野宏)

講演する海老澤徹さん(撮影・樋口元義さん)

講演する海老澤徹さん(撮影・樋口元義さん)

◆二つの事故からの教訓

もともと、東京電力福島第一原発は透水層でガラガラの地層だったところに建てられました。しかも35メートルの高台だったのを25メートル掘り下げて、高さ10メートルのところに原発を設置しました。それが今回の事故の背景になったわけです。

福島第一原発事故の前史をお話したいと思います。1999年9月30日、東海村にある核燃料製造工場(JCO)で濃縮ウランを熔解中に即発臨界事故 が発生し、作業員2 人が被ばくして亡くなるJCO事故が起きました。チェルノブイリ事故と同種のもので、臨界状態が継続したため、周辺では放射線量が高くなり、放射性物質も 放出されました。事故から8 時間後、隣接する歩道で計測された放射線量は4ミリシーベルト。福島第一原発の事故で線量が高くなった3月15日の、正門前の測定値は11ミリシーベルト ですから、線量の高さが理解できると思います。

しかし、原発の安全審査を担当する原子力安全委員会の委員長も遅れて現場に到着しましたが、何もしなかった。この事故は、原子力事故が起こった時、日本には事故対応の法律と組織が存在しないことを明らかにしたのです。

この事故から2年後の2001年に「原子力災害特別処置法」が制定されました。その結果、福島の事故では吉田所長が現場の責任を全て持ち、菅総理が住民避難の責任を持つ、そういう役割分担が機能しました。それがなければ誰も実働できないという状態のままでした。

もう一つは2007年の柏崎刈羽原発の事故です。この事故に基づいた安全対策が、福島第一では震災の8カ月前に完成しました。主なものは免震重要棟 の設置と消火系配水管の多重化です。柏崎刈羽事故で火災を消せなかった教訓から、色々なところに貯水槽を設けました。この二つの対策が福島事故ではそれぞ れに役に立ちました。もしそれがなければ米国の国家情報会議(NIC)が最初に心配したように、東京も住めなくなっていたかもしれません。

◆ 遅れた津波対策

今回、高さ15メートルの津波の前ではどうしようもなく、現在のような状況に陥ってしまいました。
津波の想定についてですが、もともと東北地方は太平洋プレートに起因する巨大地震が頻発する地域です。福島第一原発はその地域の南部に位置していますが、津波想定は、福島沿岸地域の歴史的な記録がないという理由から、その危険性が無視されてきました。

実際に06年に決められた地震対策では、1960年のチリ沖で発生した津波5.7メートルに若干の余裕を加えた6.1メートルが基準となり、津波対策が決定的に遅れる原因となりました。

福島の事故で示されたように、原発というものは、地震や津波、火山の噴火などが起きる日本の自然環境の中では決して共存できないのです。
(続く)

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