震災取材を振り返って、今でも忘れられない光景がある。神戸市内の仮設住宅で一人暮らしの老婦人に話を聞いたときのことだ。
「そやけど、わて、これとはちゃう(違う)でぇ」
そう言って、女性は右手の親指を内側にして4本の指を突き出していた。住んでいた家も家財道具もすべて失ったが、被差別部落ではないと強調したかったのだろう。普段は誰彼となく声をかけ、優しい心配りをみせる人なのに、何気ない言動に根深い差別意識を垣間見る思いがした。
それは、その女性に限ってのことではない。私たち一人ひとりが持っている人を蔑む心が、あの時、生活基盤の弱い人たちの再生を阻むことはなかっただろうか。
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は、1月17日で発生から20年を迎えた。この震災がきっかけとなって生まれた言葉に「ボランティア元年」があ る。人と人とが助け合う姿は、今でも心に残っている。震災の記憶が風化していく中、その教訓は今も生きているのか。20年前取材した被差別部落と朝鮮学校 を相次いで訪ねた。(新聞うずみ火/矢野 宏)

震災から20年。空き地が広がる神戸市の番町地区 (写真:新聞うずみ火)

震災から20年。空き地が広がる神戸市の番町地区 (写真:新聞うずみ火)

 

◇ 増える空き家 出てゆく若者

林立する改良住宅の間に広がる空き地が目につく。かつて、老朽化した木造長屋が建ち並んでいたが、震災で軒並み倒壊した。その後、新たな住居が建てられるでもなく、放置されている。

「地区外の人と結婚した若者がどんどん出ていくのです。ここにいたら差別が続くからと言ってね」

そう言って、神戸市職員の平林照夫さん(68)は嘆息を一つこぼした。

震災が起きた年の国勢調査によると、神戸市長田区内の同和地区には1608世帯3477人が居住していたが、現在は改良住宅にも空家が目立つ。

「ここは交通の便もいいし、住みやすい土地なのに350戸も空家がある。これが実態を表しているのではないでしょうか」

1969年、「同和対策事業特別措置法」(同対法)が施行され、多くの被差別部落で公営改良住宅の建設が始まった。同対法が廃止されたあと、82年には「地域改善対策特別措置法」が施行され、地区改良事業の一環として住環境が整備されていった。

地区改良事業は、地方自治体が一定の基準に照らし、住民の意向を聞いて「改良地区」と指定した地域で行われる。土地を買収して改良住宅を建て、安い 家賃で供給してきた。世間からの差別を恐れて指定を断った地区もあったが、同じ部落内でも行政による線引きによって、そのまま放置されたケースも少なくな い。未指定地区は全国に1000カ所、兵庫県内でも50カ所を超えるという。

この地区でも改良地区の指定を受けたのは6割ほど。未指定地区には古くて傷みの激しい家屋が残っていた。震災はそんな街を直撃したのだ。その惨状を、平林さんは改良住宅の4階から見ていた。

「まさに一つの街が消えたという感じでした。階下に広がる200軒ほどの木造の長屋が軒並み潰れ、ほこりが舞い上がっていましたから」

この地区の被害は死者42人、全・半壊家屋は1400戸。うち未指定地区の被害は死者39人、全・半壊家屋は1000戸を超えていた。