「慰安婦問題を捏造」などと一部メディアに批判されたことから、脅迫など深刻な人権侵害を受ける元朝日新聞記者の植村隆さん(56)=札幌市=を招いた集 会が1月24日、大阪市生野区のKCC会館で開かれた。植村さんが大阪勤務時代に親交を結んだ在日コリアンの友人たちが「言論弾圧、歴史修正主義、ファシ ズムへの反転攻勢の一歩に」と呼びかけ、300人以上が参加した。慰安婦報道に関わるようになった経緯から、朝日新聞の報道検証、自らへのバッシングに至 るまで思いの丈を語ってもらった。(栗原佳子/新聞うずみ火)

慰安婦報道バッシングの背景について語る植村隆さん (大阪にて/栗原佳子)

慰安婦報道バッシングの背景について語る植村隆さん (大阪にて/栗原佳子)

◆ 証言者探し求め

韓国は私にとって非常に大切な国。二つの国が信頼し合える隣国関係になればいいとずっと思ってきた。私が韓国に関心を持ったのは大学時代。当時は朴正煕大統領暗殺事件、光州事件などがあり、寮には在日の先輩がいた。独学で言葉も少しずつ学んだ。

1982年に朝日新聞に入社、87年から1年、社内の制度で韓国に語学留学した。その後、89年から2年半、大阪社会部で在日などの人権問題を担当 し、在日が多く住む生野区で暮らした。今回、厳しい状況になった私に「生野に来いよ」と言ってくれ、この場を作ってくれたのが在日の友人たち。思いを込め て過ごした場所で報告できることをうれしく思う。

大阪社会部時代の90年、夏の平和企画で韓国に2週間取材に行った。日本人元慰安婦の問題を手掛けた経験があるデスクが、韓国でも取材できるので は、と。私は、韓国のジャーナリストが元慰安婦に取材したと聞いていたので、会えると思っていた。しかし、その女性は既に亡くなっていることがわかった。 その後、色々訪ね歩いたが空振りに終わった。いくら韓国語が喋れても、日本の若造に簡単に話すわけがない。そこに思いが至らなかった。

翌91年、韓国の「挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が元「慰安婦」の聞き取りをしていることを知った。私が前年空振りしたのを知るソウル支局長が 教えてくれた。元「慰安婦」が辛い体験を語り始め、それを調べている団体がある。大変大きいニュースだと思った。一人の女性の証言テープを聞いて書いたの が、91年8月11日付大阪本社版の朝刊社会面トップになった。『思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 韓国の団体聞き取り』という記事だった。

前年から取材している問題で、歴史的な証言の一部を報じることができ、ひと仕事終えたという思いがあった。しかし記事は関心を呼ばなかった。大阪は 社会面トップだったが、東京は翌日になって4段くらいで掲載された。どこの社も後追いしなかった。韓国の特派員が「朝日新聞によると......」と「転 電」することもなかった。

その3日後の8月14日、女性は北海道新聞の単独インタビューに応じた。さらに会見も開き、金学順という実名でカミングアウトした。この91年8月 14日という日は、慰安婦問題の歴史の中でも大きなターニングポイント。しかし新聞記者としては、北海道新聞のようにインタビューもできなかったし、「や られた」という悔しい思いが残った。その私がいま、全て慰安婦問題を捏造したかのようにいわれているのだから、不思議な運命だと思う。(続く)

植村隆さんの講演要旨を3回に渡ってお届けします。

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