イラク・サマワで活動していた自衛隊。(2004年撮影:野中章弘)

イラク・サマワで活動していた自衛隊。(2004年撮影:野中章弘)

 

◆軍隊は自国民を守らない

安保法制をめぐる議論でもっとも気になることのひとつは、自衛隊という組織についての認識の甘さである。自衛隊は現在、計23万人の兵力を保持する「軍事組織」である。メディアは軍隊に内在化された暴力性についてあまりにナイーブだと言わざるを得ない。
アジア取材の経験から学んだもっとも重要なことは、「軍隊は自国民を守らない」ということであり、「その国の軍隊の銃口は自国民に向けられる」という事実である。アジアの歴史はそれを物語っている。

タイ、ビルマ(ミャンマー)、インドネシアなどでは、軍事政権に対して民主化を求める学生、市民たちが軍の弾圧の犠牲となってきた。外国軍との戦いよりも、指導者たちは自らの権力を維持するため、軍を弾圧装置として利用してきた。

韓国では1980年、光州蜂起の鎮圧に軍を送り、中国では1989年、天安門広場における人民解放軍による発砲で、いずれも多くの人びとの命が失われた。

自衛隊については外国の侵略から日本を守るという面ばかり強調されているが、国家によって管理された暴力装置である以上、他のアジア諸国と同じように銃口を国民に向ける可能性をぬぐい去ることはできない。

また、自衛隊の旧日本軍的な体質にも強い懸念を抱かざるを得ない。2008年、「日中戦争は侵略戦争ではない」などと主張した田母神俊雄氏は当時、 航空幕僚長であり、このような歴史観を自衛隊幹部が共有しているとするなら、時代錯誤もはなはだしい。厳しく批判されねばならない。

田母神氏だけでなく、西原正・元防衛大学校長(現在、安倍首相の有識者懇談会メンバー)は防衛大学校における武士道精神について誇らしげに書いている。
「彼ら(防大生)は日本社会における数少ない武士道精神の継承者集団と言っていい」(2006年3月21日付け 読売新聞)

元来、武士道精神の中核となっているのは、武士(さむらい)として主君や家に絶対的な忠誠を尽くすという倫理観である。国民主権を謳う日本国憲法の 民主的な精神とは、正反対の思想である。武士道精神は克服すべき対象ではあっても、継承すべきものではない。自衛隊の幹部候補生たちが武士道精神を叩き込 まれているのなら、旧日本軍のメンタリティ、価値観がまだ根強く残っていると言わざるを得ない。

重ねて言う。軍隊はいくら民主化されても、本質は変わらない。軍は国の命令によって動き、国を守るために武力を行使する。守るのは国であって人ではない。戦争になれば軍は軍の論理によって行動する。在日米軍も自衛隊も例外ではありえない。