文部科学省が昨年出した「原子力人材育成に関する取り組み」という文章がある。それによると、今から30年前の1984年には、日本の大学の原子力関連の 学科数は10学科・定員440人、大学院では11専攻・定員210人であったものが、20年後の2004年には、大学はわずか1学科・定員60人、大学院 は4専攻・定員100人に減ってしまっていた。ところが福島第一原発事故後、これらの数は上昇に転じているという。原子力産業の人材育成の現場で一体何が 起こっているのか、元京都大学原子炉実験所・助教授の小出裕章さんに聞いた。(ラジオフォーラム)

ラジオフォーラムの収録で語る小出裕章さん

ラジオフォーラムの収録で語る小出裕章さん

ラジオフォーラム(以下R):福島第一原発事故が起きるずっと以前の1984年から2004年の20年間に、なぜこれだけ原子力関連の学科、専攻数が減ってしまったのでしょうか。

小出:原子力に関する夢がすっかり冷めてしまったのです。私が原子力に夢をかけて大学に入ったのは1968年でした。その頃は、日本中というか世界中が原子力に夢をかけていた時代でした。

私は東北大学工学部原子力工学科という所に行きました。昔、大日本帝国という時代に、帝国大学というのが7つあったのですが、戦後、その旧帝国大学の全てに原子力工学科あるいは原子核工学科というのがあって、当時の花形学科でした。

R:日本が国を挙げて原子力産業を推進していた象徴の一つですね。

小出:ただしそれ以降、原子力というのが、当時言われていた夢のエネルギーではないということ、つまり、危険も 抱えていて、生み出すゴミの始末もできないということがだんだんわかってきてしまいまして、原子力への夢がどんどん冷めていってしまったのです。1979 年には米国スリーマイル島原子力発電所で大きな事故があるなどして、もう原子力に未来がないということが、大学で工学を専攻しようとする学生ならば、ほと んど皆わかってしまったのです。

その結果、工学部の中で最低の学生でも「原子力」というと来てくれなくなりまして、今では7つの旧帝国大学のすべてから原子力工学科も原子核工学科も消えてしまったということになりました。