太平洋戦争末期、大阪・高槻市に掘られた巨大地下トンネル群「タチソ」。戦争の愚かさを伝える貴重な戦跡だが、戦後70年が経ち劣化が著しい。保存活動に 取り組む「高槻『タチソ』戦跡保存の会」の橋本徹事務局長(75)のガイドで12月中旬、「うずみ火新聞」の読者とフィールドワークを行った。(新聞うず み火 矢野 宏、栗原佳子)

96年に設置された大阪・高槻市の巨大地下トンネル群、タチソ地下壕跡の碑(2015年12月撮影・栗原佳子/新聞うずみ火)

96年に設置された大阪・高槻市の巨大地下トンネル群、タチソ地下壕跡の碑(2015年12月撮影・栗原佳子/新聞うずみ火)

 

JR高槻駅からバスで約15分。丘陵の谷間に冬の農村風景が広がる。高槻市北部部の成合地区。「うずみ火新聞」は「タチソ」フィールドワークを企画した。「タ・チ・ソ」。高槻地下倉庫の頭文字を並べた暗号名だ。

1944年7月7日、サイパン島が陥落。本土決戦を意識した日本軍は、各地の司令部を地下に移す計画をたてた。ここ高槻は、大阪城にあった中部軍司令部の地下指令所に選ばれた。

「44年9月、高槻に軍がやってきます。住民を集め『軍の重要な秘密基地をつくるから土地を明け渡せ。もともと天皇陛下の土地だ』と。期限は軍がいらないというときまでだと。住民は泣く泣く土地や山林を明け渡したのです」

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