古居みずえ監督はパレスチナ問題を88年から取材してきた。「原発事故で全村避難を強いられた飯舘村の人が、土地を追われたパレスチナと重なった」と話す。

古居みずえ監督はパレスチナ問題を88年から取材してきた。「原発事故で全村避難を強いられた飯舘村の人が、土地を追われたパレスチナと重なった」と話す。

◆仮設住宅に暮らす女性たちとの出会い

飯舘村から避難した女性たちにカメラを回して2年近くたった2013年の初め、福島県伊達市の仮設住宅でひとり暮らしをする飯舘村出身の菅野榮子さん(80)と出会いました。彼女は故郷に伝わる味噌づくりのワークショップなどを開いていました。

村では酪農と農業に携わり、ご両親の介護もされてきた苦労人とのことでした。自分の考えをきちんと話せる榮子さんが大好きになりました。近くに暮らす、遠縁の菅野芳子さん(79)とのやりとりが面白くて、一人暮らしどうしで協力しあう姿に惹かれた私は、2人の日常を追うことにしました。

 

原発事故で飯舘村を離れ、福島県内の仮設住宅に暮らす菅野栄子さんと菅野芳子さん。仮設のそばで畑を耕し続ける。(映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」より)

原発事故で飯舘村を離れ、福島県内の仮設住宅に暮らす菅野榮子さんと菅野芳子さん。仮設のそばで畑を耕し続ける。(映画「飯舘村の母ちゃんたち 土とともに」より)

私は榮子さんにこれまで制作した中東のドキュメンタリー映画のチラシを渡し、撮らせてほしいとお願いしました。彼女は「なぜ、私が?映画に出てくるのは原節子さんのような女優さんじゃないの?」と笑っていましたが、「ばあちゃんがどう生きたか、孫やひ孫に伝えてもらえるのなら」と撮影を承諾してくれました。

その後、私は福島市内に家賃2万円ほどの小さなアパートを借りて、彼女たちの仮設住宅に通いました。細々とフリーランスの仕事をする私にとって、取材や制作費をやりくりすることは大変でしたが、たくさんの方たちに支えてもらいました。
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