津波におそわれた直後の大熊町熊川地区。全町避難の直前、町の消防団はここで最後の捜索を行った。(2011年3月11日 福島県大熊町提供)

 

◆避難完了時刻が迫る中、『おー』という声が聞こえた気がした

テニスの選手になるのが夢だった小学一年生の汐凪さん。いつも自然と友達の輪の中にいた、心配りのできる女の子だった。彼女の命を救える可能性はなかったのか。地元紙における行方不明者の救助をめぐる報道はこうだった。

3月14日、福島民友。「津波に襲われた南相馬市内の男性が13日、双葉町の太平洋上で漂流中のところを発見、救助された。相馬市でも日立木、原釜、磯辺地区で建物の屋根に取り残されていた20人が無事救出された」       

3月17日、福島民報。「県警は15日、東京電力福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の区域で避難指示が出ていた南相馬市小高区の全盲の女性(78)を救助した」

救助により命が救われたケースがいくつもあった。だが、それらは原発から10キロメートル圏外の場合が圧倒的で、そこでも目に見えない放射能の影響で、度々捜索が中断されていた。

原発から10キロメートルの円内に町のほとんどが含まれてしまう大熊町の状況は深刻だった。町内で行方不明になった人は木村家の3人を含む大熊町民10人、富岡町民1人。いずれも現場は原発から1〜4キロメートルのところだった。全町避難の後、福島県警は現場の捜索を始めたが、1号機爆発という事態を受け中断へと追い込まれた。

自衛隊はどうだったのか。震災発生直後、福島県知事の派遣要請を受けて生き埋め者の救出などに動き出したものの、北沢防衛大臣(当時)が原子力災害派遣命令を出してからは原発対応に追われることになった。
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