◆海外の映画に見る「記憶の編み直し」

8月。すでに下旬だが、「あの戦争」を振り返る季節である。戦争を描いた近年の作品として、アニメ映画『この世界の片隅に』(片渕須直監督)がある。広島・呉を舞台に、ごく普通の家族の戦時下の日常を描いたものだ。美術的な面も含めて、優れた作品だったと思う。ただし、残念な点が一つある。

終戦直後に太極旗(韓国の国旗)がはためく場面がある。戦時動員によって呉軍港で働かされていた朝鮮人労働者たちの存在を暗示しているのだろうが、見落としてしまうくらいの一瞬で終わってしまう。ほとんどの人には意味さえ分からないだろう。もう一歩でも、踏み込んでほしかった。彼らもまた、映画の主人公である北條家の人々や、すずが出会った遊郭の女たちと同様、あの時代の呉を生きた「普通の庶民」だったのだから。

そんなことを思うのは、この10年の間に、自国の歴史的記憶を描きながら、そこに自分たちが支配した相手の「顔」を描き込んだ、海外の優れた映像作品をいくつも観たからである。支配-被支配の関係のなか、見えなくされてきた人々が、顔を持った人間として描かれているものだ。そこには、「記憶の編み直し」とでも言うべき作業がある。

典型的なのは、2014年のフランス映画『涙するまで、生きる』(ダビド・オールホッフェン監督)だろう。原作はアルベール・カミュの短編『客』。1950年代、フランス統治下のアルジェリアの高原に住むフランス人の小学校教師が、警官の命令で殺人犯の「アラブ人」を遠くの町まで連行するはめになるという物語。原作では「アラブ人」には名前もなく、どこまでも不気味な存在だ。実はカミュ自身がアルジェリア植民者で、その独立に反対していた。ところが映画では、このアラブ人には名前がある。そして、原作にはない二人の道行きを膨らませることで、二人の間に人間的な交流が生まれ、主人公は最後に、カミュがたどり着けなかった決断へと行きつくのである。アルジェリアの荒涼とした原野が美しい、静かな映画だ(DVDが出ている)。
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