23年前に起きた阪神・淡路大震災直後の写真。岡田さんが住んでいた1階部分を2階の病院が押しつぶした(1995年・神戸市東灘区で撮影・岡田一男さん提供)

 ◆建物に圧迫されて壊死した筋肉細胞から毒性物質が全身に回る「クラッシュ症候群」に

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から1月17日で23年を迎えた。被災地を歩いても震災の傷跡が見当たらないほど、街は復興している。その一方で、支援の枠外に取り残された人たちがいる。震災で負傷し、後遺症が残った「震災障害者」だ。(矢野宏/新聞うずみ火)

23年前の1995年1月17日。神戸市東灘区御影中町のビルの1階で喫茶店を営んでいた岡田一男さん(77)は、隣の自宅でこたつに入ってうたた寝をしていた時、突然、ゴーという地響きがして激しい横揺れに襲われた。

とっさに起き上がろうとしたが、一気に迫ってきた壁とこたつに挟まれた。上から天井とコンクリートの梁が落ちてきたため、岡田さんは数十センチ四方のすき間に右ひざを立てて屈んだ状態で身動きできなくなった。

頭を持ち上げることもできず、毛布が顔に張り付いて息ができない。かろうじて動く指で左唇をこじ開け、わずかな空気を吸った。
 
いったい何が起きたのかわからない。暗闇の中で声にならない声で家族の無事を確認した。妻も身動きできないが、けがはないという。別の部屋にいた長女は自力で脱出し、近所に助けを求めた。

「岡田さん、助けるからな」 「重機を呼んでくるわ」

近所の人たちの声を聞き、「助からないかもしれない」と覚悟を決めた。重機などそう簡単に見つかるわけがない……。

「ただ、自分に何か役目があるなら助かるかもしれない」
空気が薄くなる中で、そう思うことで自身を励ました。

8時間後、妻は近所の人たちに助け出された。だが、岡田さんの救出は難航を極めた。夕方、警官が来たが、無残にも押しつぶされた1階部分を見て「どうにもならん」という言葉を残し去った。
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