「市井の人が苦しみ、涙を流す。原発事故は戦争と同じ」と関電京都支店前で脱原発を訴える村上敏明さん。戦争の語り部として旧満州引揚の体験を語り継ぐ(新聞うずみ火)

 

73年続いた戦後を戦前に戻さないために「不戦の誓い」を再確認する夏。旧満州(現中国東北部)からの引揚者で「母と妹を殺めた」京都市伏見区の村上敏明さん(83)。戦争の語り部として、その体験談を伺った。(矢野宏・栗原佳子/新聞うずみ火)

村上さんはこの6年間、毎週金曜日に関西電力京都支店の前に立ち続けている。市民有志が脱原発を訴える「キンカン行動」。321回目を数える8月17日も「バイバイ脱原発」と青字で書かれたピンク色のボードを手にし、再稼働撤回などを訴えていた。
原発事故で、福島から避難してきた若い母親との出会いがきっかけだったという。

「ただ子どもを守るために京都にやって来た。必死で逃げてきた姿が戦場の家族と重なったのです。責任を負うべき人が責任を取らず、市井の人が苦しみ、涙を流す。原発事故は戦争と同じなのです」

村上さんが旧満州に渡ったのは1938年、4歳の時だった。盧溝橋事件で日中戦争に突入した翌年のこと。京都市役所に勤めていた父が南満州鉄道の関連会社に転職したため、母と2人の弟と京都から大連へ移り住むことになったのだ。小学2年の時には父の転勤で四平という街へ移住している。道路が碁盤の目のように整備された街で、2万5000人もの日本人が住んでいた。

「中国人を『チャンコロ』と呼び、蔑んでいました。路上で見かけた同じ年頃の子を石でたたいたり、集団で殴りかかったりしていました」

44年夏にサイパンが陥落。日本本土は空襲に見舞われるようになった。「大連も空爆されたと聞きましたが、四平ではのんびり暮らしていました。運動場に水をまいて凍らせ、スケートを楽しむなど、戦争はどこか遠い国で起きていることのように思っていました」

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