◆「現実の二重化」が社会を侵食する

政府が自分たちも信じていない「公式見解」を示すのはともかく、なぜメディアがそれをそのまま客観的な事実であるかのように地の文で書くのか。なぜ自らの当初の報道を否定して、輸出規制が徴用工判決への対抗措置だというのは韓国側の主観的な主張にすぎないと説明し直すのか。とんでもない退廃ではないか。

メディアは政府の広報ではない。自ら調べた事実をそのように報じることで、社会に議論の前提を提供するのがその役割である。だが、メディアが誰も信じていない嘘をそのまま書くようになれば、議論は成立しなくなる。今回のテーマで言えば、本来は、徴用工判決への報復として輸出規制を行うのは是か非かという議論が広く行われるのが健全なあり方だろう。そうした議論の中で初めて、この選択のメリットとデメリット、正当性と不当性が吟味されるからだ。ところがメディアが事実の代わりに政府の公式見解を客観的事実のように伝えることで、この政策の是非をめぐる議論そのものが成立しなくなっている。いま起きていることが間違いなく日本と隣国の人々の未来を大きく変える重大事であることを思えば、政府の選択の是非をめぐる議論が存在しないのは、深刻な事態だ。

問題は今回の件だけではないし、メディアだけの問題ではない。誰もが「公式見解」を嘘と知りつつ一方でそれを信じているかのように振る舞う言論状況、いわば「現実の二重化」がこのまま社会を侵食していけば、私たちは自己欺瞞のうちに沈んでいくことになる。敗戦へと転がり落ちていった戦時中の日本がそうだった。まともな判断力と教養をもった大人たちが、「本当に」大本営発表を信じていただろうか。

日本とはシステムは違うが、かつてのソ連もまた、人々が二重の現実を生きる社会だった。公式見解や公式統計数字と、本当の意見や本当の数字が二重に存在し、後者は私的な空間でぼそぼそと話されていたのである。こうした状況に対して、作家ソルジェニーツィンは、「嘘によらず生きよ」という文章の中で、「せめて心にも思っていないことを語ることだけは拒否しようではないか」と訴えた。私たちもまた、公式見解ではなく現実を前提に議論すべきだ。せめて嘘だけはやめよう。

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加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。