小2で福島から避難して9年。莉菜さんは高校生になった。京都府内で撮影鈴木祐太

◆避難してよかった。でも友達が心配

まもなく、あの東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から8年を迎える。福島での原発事故によって避難を余儀なくされた人はピーク時で16万人以上。その中には今も地元に帰れない人が数多くいる。当時、小学生だった子どもたちは、高校・大学進学、就職という人生の節目を迎え始めた。多感な年頃を地元ではなく、避難先で過ごさざるを得なかった女子高生の一人に話を聞いた。(鈴木祐太)

今回、話を聞くことができたのは、福島県の浜通りから京都に避難した女子高生の莉菜さん。(リナ、仮名・事故当時小学2年生、現在高校2年生・16才)。事故当時、住んでいた街は強制避難地域には指定されなかったが、母親の判断で事故の2日後に避難を始め、転々とした結果、今は、家族で京都で生活をしている。

◆大地震と逃避行

――福島の友達とは今も繋がっていますか?
莉菜 「はい。携帯アプリのラインなどでたまに連絡をとっています。最近は、福島の友達が京都に修学旅行にくるので、どんなプランがいいか一緒に考えました。福島には震災以降、3回帰っていて友達とも会えています」

――震災当時のことは覚えていますか?
莉菜 「地震の時は、教室で帰りの会をしていました。地震が来てグランドに逃げました。遠くに黒い霧みたいなものが見えました。もしかしたら津波だったのかもしれません。周辺では、火事が起こっていて煙が上がっていたのを覚えています。うちは一人親家庭なので、母が帰ってくるまで、祖父母の家でテレビを見ながら過ごしていました。宮城県のことをテレビでやっていて、すごいことになっているなと思いながら見ていた記憶があります」

――転々と避難をしていた頃のことは覚えていますか?
莉菜 「避難初日は、車の中で寝ました。毛布も人数分なかったので寒かったです。避難所に移ってからはとにかく暇でした。ガムテープなどを使って工作をしたり、絵本を読んだりカルタをしたりして遊んでいました。トイレが和式で流れないのが嫌だったので、本当は高齢者用で使ってはいけなかったけれど、備え付けの洋式でしていました。夜に来る余震が怖かったです。でも、避難所には楽しかった思い出があります」

後に母親に聞くと、子どもたちが退屈しないようにいろいろ工夫をしたようだ。子どもたちが避難所生活の間にも、楽しかった瞬間を記憶しているのは、こうした母の心遣いがあったからだ。