文・写真:和田博幸
1999年、インドネシア南東部マルク諸島で大規模な宗教抗争が勃発し、多数の子どもたちが少年兵として巻き込まれていった。
第一回「インドネシア・マルク諸島1999年1月19日――すべてはあの日に始まった」

「廃墟で水を汲む女性」

今年(2003年)2回、のべ3か月間にわたり、インドネシア南東部のマルク諸島を訪ねた。この地では1999年1月からの約3年間、イスラム教徒とキリスト教徒のあいだに勃発した宗教抗争よって、6千人とも1万人ともいわれる犠牲者がでている。また人口の5分の1にあたる、およそ40万人もの国内避難民が発生し、故郷の村をおわれた。

3年間という短い期間に、多数の犠牲者が出た被害の深刻さを考えると、マルク宗教抗争の実態についての報告は少ない。その理由として、インドネシア政府による非常民政事態が現地に発令され、外国人の立ち入りが禁止されたことにあると考えられている。

一部の援助関係者をのぞき、ジャーナリストを含めた外国人のマルク州への入域は、厳しく制限されてきた。それが紛争の実態を解明することの大きな制約になってきた。

「アンボン市街」

幸いにして、私は今回、独自のルートをたよって州政府からの特別入域許可を得ることに成功した。そのおかげでこの地に長期に滞在し、「宗教抗争」といわれる紛争の本質を取材する機会を得た。

マルク諸島は、かつては香料諸島と呼ばれ、クローブやナツメグなどスパイスの産地として知られてきた。マルク州の州都アンボンは、人口はおよそ30万人の港町だ。

その人口のうち、キリスト教徒とイスラム教徒の割合は、およそ半分ずつである。イスラム教徒が9割を占めるインドネシアにあって、マルク諸島はキリスト教徒が比較的多い地域として知られている。互いの住民が、およそ400年の長きにわたって共存する地として、ここマルク諸島は知られていた。
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