《共有できる部分を見つけ、対話を広げていく》
20040507_01_10.jpg米国によるイラク戦争と占領に反対する市民のデモ。横須賀。(撮影:ヨコスカ平和船団)

新倉 希望、あるいは人を信じることの意味をかみしめたいですね。
僕らは毎月最後の日曜日に、横須賀で月例デモを28年間続けています。参加人数は、去年は平均で50人くらいでした。

いまでも以前に長い間、一桁の人数でやってたときの感じ方を大事にしたいと思っています。一桁でもなぜがんばってこられたのか。僕らが小さな運動でも続けてこれたのは強固な決意があったからではなく、いろんな人たちに支えられたからです。もっといえば、横須賀の街が受け入れてくれているからだと思うんです。僕らの運動なんてつぶす気になればいつでもつぶせるわけですから。

何年か前に、こういうことがありました。デモのコースが町内のお祭りと重なる日があって、町内会の役員の方から「警察が両方警備するのは大変だから検討しましょう」と相談されたんです。

僕らの方が圧倒的に歴史も規模も小さいので、デモの時間を少しずらせばできるかもしれないと思って横須賀署に掛け合った所、署は「大変だ」と愚痴をいっただけで、「できない」と言ったわけではなかったんですが、それを町内会の人は真に受けていたんです。結局デモを30分ずらして神輿のパレードとぶつからないようにしました。

そのことを町内会の役員の方に報告に行ったら、「ありがとうございました。実は去年も日にちが重なっていたので、お祭りの日にちをずらしました」とおっしゃったんです。それを聞いて驚きましたね。横須賀の目抜き通りの町内会ですから実力もあるので、「デモの日にちをどうにかしろ」と警察にいえばそれで終わりなんですが、そういう選択を町内会の方はしなかった。

信じ難かったけれど嘘じゃないんです。「私たちも基地を抱えている町内会だからあからさまにはいえないけれど、(基地は)ない方がいいとみんなが思ってますよ」といってくれました。その人は僕らのデモに参加するわけではないのですが、小さなデモがあることは認めてくれたんです。

吉田 それは印象的なエピソードですね。
新倉 僕は、街と対話ができたと思いました。対話というのは人間対人間だけではなく、街と、軍と対話することでもあります。毎月の最後の日曜日に、基地に反対している人間たちが歩くことで、横須賀という町がある部分で冷静になれるんじゃないかと思うんです。

デモは、大きくて力があることに政治的効果があり、僕らのような小さなどうしようもないデモは何の意味もないと思われがちです。小さいから邪魔にならないという理由で許容されていたとしても、何十年も街が受け入れてきたという歴史はつくられている。これは横須賀という街にとっても大事なことだと思います。

大きいだけが、力のあることだけが重要なのではなく、小さくて力がないからこそ果たし得る役割もあるのではないでしょうか。自分たちは力がないからこそ、自分たち以外の他者を信ずる。仮に軍隊のなかの人であっても、その人を信じることから生まれる対話にある種の希望を託すことができます。

いま日本は大きな曲がり角に来ていますが、反対の声は大きくなっていません。しかし、本当にどうにかしようと思っている人たちがたくさんいることも事実です。小さいことに悲観的になる必要はないと思うし、小さいが故に生まれてくる信頼感や共感は育っています。それ自体もひとつの資産なんです。

力がないと自覚するからこそ対話が必要だし、そうでない人たちを信じることもできます。自分に力がある人は、えてして人を信じない。力がないということはとても大事です。軍隊というのは自分に力があるから、自己完結して他者を認めずに、殺傷することが論理的に可能になってしまわけですから。

吉田 町内会の、「表立っては言えないが、みんな基地がない方がいいと思っている」という話を聞いて考えるのは、誰もが心の底に持つ平和を求める心情に触れる、接点を持つ、共有できる部分を見つけ、対話を広げていくということの意味ですね。

新倉 下手をすると僕が言っていることは、情緒的過ぎて楽観論に聞こえてしまいかねない部分があります。

吉田 でも、こういう時代で悲観論ばかり言っていると元気がなくなりますからね。
新倉 そうです。「大変だ」と100回くりかえしても元気にはなりません。
吉田 憲法の平和力を活かすために、これからも考えつづけたいですね。(完)

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