ナガサキで考える 3月23日
060323_01.jpg3月20日はイラク開戦3周年。
去年、おととしと、この時期はイラクにいた私だが、今年は講演のため長崎で迎えることになった。
【写真:「高校生1万人署名活動」の学生のみなさまから、本をいただきました】
会場は原爆資料館ホール。私と同じ被爆2世や、3世の方が多くいらしてくれた。

イラクの人びとは東京や大阪を知らないが、ナガサキ、ヒロシマのことは、みんな知っている。イラクに関心を持ってくださる長崎の人びとの姿に、うれしい気持ちでいっぱいになった。
次の日、岡まさはる記念長崎平和資料館へ行く。加害者としての日本を、被爆地長崎から見つめることで、非戦を訴えるという目的で設立された資料館だ。

休館日にもかかわらず、資料館の事務局員、森口正彦さん(66)が迎えてくださった。
資料館の入り口には、全国からの中高生たちからのメッセージや色とりどりの千羽鶴などが飾られている。
修学旅行の見学コースにもなっていた。授業では教えてもらえなかった、と年齢が若い人ほど反応が大きいという。

森口さんは小学校1年生のとき被爆した。
ピカっ。光が差し込み、目を伏せた。風を感じるのと同時にゴーっという地鳴りの音。おそるおそる目を開けると、青空にきのこ雲がのぼっていくのが見えた、という。

家族は全員助かった。しかし現在、森口さんと兄を除き、他の家族はがんで闘病中。私の親戚と同じだ。
一方、原爆投下から数年前、森口さんの叔父(故人)は南京に召集されていた。帰国後、叔父は南京で何をしたのか話すことはなかった。ただ、コウリャン畑に火をつけたことを、森口さんに告白していた。
「命令とはいえ、自分も百姓だからつらくて。戦争とはむごいものなんだ」叔父はそう話したという。
「日本がアジアの人たちに何をしたのか、加害と被害をきちんと整理しないと平和は語れない」森口さんは力を込める。

060323_02.jpg【写真:「イラクの涙は、長崎の涙につながっている」森口さんはいう】

森口さんは被爆体験証言者(語り部)でもある。
1月20日、長崎市の外郭団体、長崎平和推進協会が、被爆体験証言者に対して「政治的発言」の自粛を求めた。

それに対し、被爆体験証言者をはじめ、地元の市民団体などが反発している。
森口さんも「被爆を語ることは、政治を語ることでもあるのに」と怒りをかくせない。
人口45万人の長崎市で、被爆者の数は5万人を切った。平均年齢は74才。残された時間はあと少しだ。
ジャーナリストとして、被爆2世として何ができるのか、今後のあり方を考えさせられる旅でもあった。

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