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【食糧確保のための移動に疲れ果ててへたり込む人々】(1998年9月/撮影:アン・チョル) ASIAPRESS

【食糧確保のための移動に疲れ果ててへたり込む人々】(1998年9月/撮影:アン・チョル) ASIAPRESS

私はなぜ北朝鮮を脱出したのか(12)

「今の時代は、死ぬより生きることのほうがずっと困難なのだ。
なぜならば、私たちは、人間の死と苦痛にも心が動かされない社会で生きているからだ。
仮に、私に地獄の経験があるならば、やはり同じ認識を持つかも知れない。

今、明白なのは、私たちがどこにやって来たのか、どこへ行こうとしているのか、また、どの方向に向かわなければならないのか、それらを誰も自信をもって知っている者がいないという点だ。

暗闇の中で台風に身をまかせているようなものなのだ。
この大いなる未知によって、朝鮮全国が不安に包まれている。

こんな時代、このような社会は、歴史的には繰り返されてきたのだろうが、人々には飢えと同時に知的渇望も感じるようになったのだ。
これまでとは違って、人々が生きようと努力することは、すなわち知ろうと努力することである、そんな時代に変わりつつあるのだ。今のように'多くの事を学べる時代'もめったに無いだろう」

このような友人たちの会話よ聞いて、私にも確かにこの社会は、足を踏み間違えて巨大な未知の暗黒世界に入ってしまった感じがした。
もう一つ記憶に残っているのは、横になったままその話を聞いていた私の頭に、ふと、北朝鮮でよく引用される金亨禝先生(金日成の父)の"三大覚悟"に、自然に到達した気がしたのである。

"殴り殺される覚悟,凍死する覚悟,飢え死にする覚悟"は、革命家育成の必須体験であるという。
家もなくしてしまい、餓え死にから蘇生した私は、さしづめ、三大覚悟のうち二つに自然に到達していたのかもしれない。
私はいまだにこの国(北朝鮮)のことをほとんど知らない。

だからこそ、死ぬのなら、この国のすべてを探し回って、この国のことを徹底的に理解した後に死のう、そのような知的意欲にかきたてられるようにして、私は伏した床から起き上がった。

私の目の前ではとてつもない社会の大変化が起きているのに、それを理解も説明をできないとことが、知識人として私は不満であった。
我らはなぜ、このように、静かに飢死しなければならないのか、果たして問題は何なのか、
それすらはっきり示すことができない自分に対して、もうこれ以上妥協することはできなかった。

ただ一つの難点は、(闇)市場化されたこの新しい世界で、この志が私と家族の生計に何の意味もないだろうということであった。
なぜならば、この社会では知識のような精神文化的なものの需要はほとんどゼロなのであるから。
しかし、人間の社会ならば、(知識には価値と需要があるという)漠然とした信念が私にはあり、"北朝鮮の常識'に挑戦して、その多くの例外を探し、未来の芽を発見したいと思った。

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