広島で

爆心地から700メートルの福屋デパート内で被爆、奇跡的に助かった女性2人に会いに広島へ行った。
tama_hiroshima.jpg【佐々木千鶴子さんと夫の卓冶さん/廿日市にて】
佐々木千鶴子さん(81歳)は被爆当時、2階の軍需局で事務作業の準備をしていた。強い光を感じた瞬間、机やイスとともに身体ごと飛ばされたという。

その時の記憶はない。しかし、口元にガラスの破片が刺さり、触れると手が真っ赤に染まったことを覚えていた。
「どうしよう。顔に穴が開いてしまった、と思ったの」
その後の人生など、いろいろな話も聞かせてくださった。

「タクちゃん(夫の卓治さん)に出あえたのが私の一番の幸せ」と話す千鶴子さん。幸いなことにこれまで大きな病気もせず、現在廿日市で愛する夫とふたり暮らし。うらやましい限りだ。

もう一人は私の叔母(81歳)。私の仕事を理解してくれる大好きな人だ。広島の山間部、戸河内でひとり暮らしをしている。
彼女は7階の貯金局で働いていた。窓ガラスが割れ、背中に破片が刺さった。命に別状はなかったが、跡が残り、痛みで今もなかなか眠りにつけないという。

佐々木千鶴子さんのことを伝えると「まだ生きている人がいるとは…」と驚いていた。一緒に会って話をすれば、他に思い出すことも出てくるのではないだろうか…。
今年6月末にイラクで開いた原爆展では、叔母の被爆着物も展示した。彼女には報告をしなければならない。原爆展の模様を撮ったビデオ映像を見せながらイラクの話をした。

被爆着物を真剣に見つめるイラクの人びとの姿を見て、叔母は感動した様子だった。そして、北朝鮮の核実験、現在、日本国内から出ている核武装論について、「あんなもん持ってはいけんのに、なぜ分からんの」と繰り返していた。
予定があったため、話もそこそこに叔母の家を後にする。
戸河内は遠い。広島市へバスで2時間。その後、高速バスに5時間揺られて大阪へ戻った。

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