APN_080204_nonaka001.jpg【昨年、納豆ダイエット番組のデータ捏造が発覚した関西テレビ。だが、多くのテレビ局の制作現場では、「演出」の名の下に捏造やヤラセは横行してきた】

テレビによる人々の「臣民化」は、経済と米国的価値のグローバル化という側面も併せ持つ。
例えば、米国を標的とする「テロリスト」たちは、IBMとマイクロソフトの製品を使って「テロ」の計画を練り、トヨタは米国で現地生産の「国産車」を売って販売台数を伸ばす。

そしてアフガニスタンに君臨する軍閥司令官が衛星放送でポルノを楽しみ、パリの街角で日本人旅行者がマグドナルドを見つけて安堵のため息を漏らすとき、「最後の秘境」と呼ばれるチベットの辺地で若者たちは米モトローラ製の携帯電話で愛を語り合う、といった具合である。

市場経済化はヒトもモノも、すべてを商品化するシステムである。
効率的な商品化のためには、均質化、画一化された価値観やライフスタイルを浸透させねばならない。
テレビほど、その尖兵としての役目に忠実だったものはない。
むろん、短期的にはテレビが民族主義を煽り、政治的、経済的、宗教的な衝突と混乱、時には体制の変革を招く道具となることもある。

また、テレビの持つ管理不能性は権力にとってもっともやっかいなものであるという指摘も正しい。
しかし、そのような点に留意したとしても、長期的にはテレビはさまざまな凹凸を解消させ、すべての人々を「消費者」という名のもとに「臣民化」させてきたという事実は動かしがたい。
「臣民化」への欲求はマスメディアであるテレビの本能といえる。

「臣民」は「市民」よりも脆弱な存在である。テレビの垂れ流す、流動食のような情報を胃に流し込んできた「臣民」の胃袋は、もはや硬いものや歯ごたえのあるものを受けつけない。
噛み砕くという習慣を忘れた「臣民」の歯グキとアゴの筋肉は衰え、柔らかなものばかりを喰らってきた胃袋は、食べ慣れないものや固形物を消化する力を失う。

異物は消化されず、胃痙攣を起こして吐き出されるだけである。
テレビは「臣民」の胃袋に合わせて番組の味付けを行う。
素材の良さを活かすより、ケチャップや科学調味料をたっぷり使って、何でもかんでも同じ味付けにしてしまう。その結果、どのチャンネルを回しても、同じような顔ぶれの似たような番組ばかり。
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